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ロシアの大戦終結記念日、女性たちの涙を思う

yamada

 

 9月2日から3日へ。ロシアは今年、第2次大戦終結記念日を旧ソ連時代と同じ3日に戻した。日本の降伏文書調印は1945年9月2日だから、ロシアも10年前、他国に合わせ記念日を2日にした。だが調印後、ソ連軍は歯舞群島に侵攻している。やはりまずいと考えた様だ。

 ソ連の戦勝を祝うと言われると、その“火事場泥棒”的対日参戦の結果大変な思いをした日本人たち――シベリアに抑留された軍人ら60万人や当時の満州、朝鮮半島北部などで暴虐にさらされた女性たちのことを考えずにいられない。後者については公式記録も統計もないが、20世紀最悪部類の非人道だろう。

 十数年前、私は小泉芳子という女性のことを本にした。内地留学生だった朝鮮北部の大領主の息子と恋に落ちて結婚(実は2号夫人だった)、半島に渡った。終戦後、ソ連軍に拘留されたが脱出、波乱万丈の一代記だった。その取材で、終戦時朝鮮北部にいて避難民になった多数の日本人の証言を集めたが、皆ソ連兵の恐怖を語った。

 「避難民収容所から連行され、翌日帰された女性が夜中に首吊り自殺した。ひどい時期は毎夜2、3人も」「連行されかけた私は側の老人にしがみついた。怒った兵士がピストルで私を撃とうとした時、誰かが横のお寺の鐘を打ち鳴らし兵士は驚いて去った」「娘を守ろうとして殺された父親もいたが、大半の男は女性が集団の真ん中で乱暴されてもぼんやり見ていた。『戦争に負ければ女はこうなるさ』と平然と言うのを聞き、少女の私は目と耳をふさいだ」「女狩りを散々目撃した子供たちは『ソ連兵ごっこ』で遊んだ。ソ連兵役が『マダムイッソ(女はいるか)』と叫ぶ。『日本人の男』役が『いない』と答えるが、ソ連兵役は隠れていた『日本人の女』役を見つけ、三者の追いかけっことなった」「避難民には発疹チフスが流行した。ソ連兵は病院の病棟まで押しかけ、伝染病の危険も厭わず女性患者に乱暴した」

 そんな体験談が一ぱいだった。

 小泉芳子も出産直後、夫と3号夫人からソ連軍地区司令部に差し出され、正副司令官官舎のメイドにされ、夜中に副司令官に襲われた。必死に逃げ、肥桶に潜んで脱出した。

 一方、日本人避難民のため私費で大量の薬品を買ってくれた少佐もいた。8歳で満州にいた私の友人は、怪しげなアルコールを水で薄めてソ連兵に売り、親しくなった。日本人たちが住民に襲われた時、8歳のSOSで駆け付けた兵士が威嚇射撃で撃退してくれたという。だがそんな将兵は稀(まれ)だった。

 ソ連兵は欧州でも酷(ひど)かった。英人歴史家、アントニー・ビーヴァー著「ベルリン陥落1945」によれば、従軍記者だったソ連女性が後にこう語った。「8歳~80歳の女性は皆強姦した。まさに強姦軍でした」。一方、反省ゼロの元将校は豪語した。「ドイツでは我々の子供が200万人は生まれただろうよ」

 今年も朝日新聞は、安倍首相の戦没者追悼式辞に「加害」言及がなかったと批判した。加害を忘れはしない。だが日本の若者たちには、こんな曽祖母・祖母世代の苦難ももっと知ってほしい。慰安婦のことは教わっても日本人女性の涙など知らない――でよいのだろうか。

 そして極めて難しいだろうが、ロシアの若者にも知ってほしい。謝罪を求めたいのではない。プーチン大統領の土下座像など絶対造らない。ソ連は大戦で2700万人が死亡し、傷だらけの戦勝だった。だが沢山の蛮行という別の傷を彼らが知れば、将来、無法な領土・勢力の拡大や非人道を抑止する力にもなると思うのだ。

(元嘉悦大学教授)

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