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イスラエルとヨルダン 「冷たい平和」続く

 イスラエルとヨルダンは10月26日、平和条約締結25周年を迎えた。しかし、この歴史的な和平条約が調印されてから四半世紀たった今、この歴史的節目を祝うための盛大な国家的行事は、どちらの国でも行われることはなかった。イスラエルとヨルダン間に冷たい平和が続いている。(エルサレム・森田貴裕)

平和条約締結25周年 盛大な祝賀行事はなし
ガンツ氏 ヨルダンとの関係改善に務める

 報道によると、多くのパレスチナ難民を抱えるヨルダンでは一般的に平和条約への支持は低く、国民のほとんどは25周年記念に祝うべき価値がないと感じているという。ヨルダンの退役将軍2人が、テルアビブにあるイスラエル国家安全保障問題研究所を訪問、またヨルダン側の死海のホテルでは、平和条約の記念式典が行われたというが、象徴的なものにすぎない。

ネタニヤフ首相(左)とガンツ氏

9月19日、エルサレムで行われたイスラエルの故ペレス前大統領の追悼式典で、あいさつを交わすネタニヤフ首相(左)と中道政党連合「青と白」のガンツ氏(AFP時事)

 1994年7月、イスラエルのラビン首相とヨルダンのフセイン国王が訪米しクリントン大統領の仲介で「ワシントン宣言」に署名。10月26日には、イスラエル国境のアラバの谷でイスラエルとヨルダンの平和条約の調印式が行われた。46年に及ぶ両国の戦争状態に終止符が打たれ、11月には国交が樹立された。

 イスラエルの建国以来、敵対してきたアラブ諸国の中で平和条約締結に踏み切ったのは79年のエジプト、そしてヨルダンだけだった。

 イスラエルは平和条約の一部として、国境の地域ナハライムとツォファーをヨルダンに譲渡した。ヨルダンは、イスラエルの農民が土地を耕作し続けることができるよう、それらの土地を貸し戻すことで同意した。

 ヨルダンに譲渡されてから3年後の97年3月13日、平和の象徴となった土地で大量殺人事件という悲劇が起きた。ヤルムク川とヨルダン川の間に位置する「平和の島」と呼ばれたナハライムに駐留していたヨルダン軍の兵士が、遠足で訪れていたベイトシェメシュのユダヤ人女子中学生グループに発砲したのだ。女子7人が死亡、教師1人を含む6人が負傷した。ヨルダン軍は容疑者を逮捕し、負傷者を救出するためにアンマンの病院へ急いだ。後に、容疑者は反社会的人格障害と診断された。

 ヨルダンのフセイン国王は事件の直後、 国の名において許しを求めるためベイトシェメシュを訪れ、犠牲者の家族に哀悼の意を捧(ささ)げ、両親に「あなたの娘は私の娘のようです。あなたの悲しみは私の悲しみです」と謝罪した。それは、イスラエルとアラブの紛争の歴史において、稀(まれ)に見る誠実で勇気ある行為だとして、深く悲しむイスラエル国民の心を動かし、事件後の両国の関係を改善へと向かわせた。

 しかし近年、イスラエルとヨルダン間の緊張は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地のある東エルサレムの地位、パレスチナとの和平交渉の停滞、首都アンマンのイスラエル大使館ユダヤ人警備員による2017年のヨルダン市民銃撃事件などの問題をめぐり高まってきた。

 ヨルダンはナハライムとツォファーの賃貸を25年満期の今年で終了し、11月に正式に土地の返還を要求するとしている。

 平和条約の付属書によると、イスラエルの土地所有者にヨルダン領の農地など2カ所の25年間の使用権を認める合意は自動更新となっており、打ち切る場合は1年前に通知する必要がある。アブドラ国王は昨年10月に「われわれの領土に対する完全な主権を行使する」と述べ、延長しないことを決定していた。

 イスラエルのリブリン大統領は今月23日、右派政党リクードのネタニヤフ首相が21日に9月の総選挙結果を受けて取り組んでいた組閣を断念したために、第1党の中道野党連合「青と白」のガンツ元軍参謀総長に組閣を要請した。

 これに先立ち、ガンツ氏は18日、ナハライムの地で支持者集会を開催し、周辺アラブ諸国との協調関係の重要性を訴えた。その中でヨルダンとの平和条約の強化に言及し、共有インフラのプロジェクトを通じて、関係改善に務めると述べていた。

 パレスチナとの対話を探るなど融和的な政策を取るガンツ氏は、汚職疑惑のあるネタニヤフ氏の退陣を条件にリクードとの大連立を目指す。しかし、ガンツ氏主導の組閣も失敗に終われば、1年間に3度目となる総選挙が実施されることとなる。

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