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朝鮮戦争と韓国建国の英雄

今回の解散を、小坪慎也氏が「ミサイル解散」と命名しました。
私もそれがピッタリだと思います。
さて今回は、現代朝鮮はもともと南北朝鮮ではなく、統一朝鮮として始まった、というお話です。

20170919000253663(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)

 昭和25(1950)年6月25日午前4時、突如として北朝鮮軍が北緯38度線を超えて韓国領域に侵入しました。はじめに北朝鮮による雨のような砲撃が行われました。続いて11万の歩兵とソ連製のT型戦車の大部隊が38度線を突破して韓国領域に侵入しました。国境にいた韓国軍はまたたく間に粉砕され、北朝鮮の戦車隊は怒涛のようにソウルに侵入してきました。

 ソウルの町が大混乱に陥入ったのはいうまでもありません。ソウル市民は、為す術もなく立ち往生の情況になりました。

 ソウルの街の真ん中には、街を南北に分断する漢江が流れ、韓国大統領府は、漢江の北側に位置します。韓国軍は大統領府を守ろうと、必死の防戦をしたようです。けれどもソ連製の戦車は、韓国軍の抵抗もむなしく・・・というよりも、まさに無人の野を行くが如く、破竹の進撃をしました。

 この状況のもと、韓国の初代大統領の李承晩は、早々と大統領府を抜け出して、漢江を渡って川の南側に逃げ落ちました。大統領は軍の責任者ではありませんから、ここまでは許容範囲といえるかもしれません。ところが李承晩は、自分が橋を渡った後、北朝鮮の戦車隊の追撃を恐れて漢江に架かる橋の爆破を命じ、それを実行しました。

 このときまだ、橋の北側にはソウル市民も、韓国軍も残留しています。その兵士たちや民間人が、その後どのようになったのか。公開された歴史上の記録はありません。

 さらに李承晩は、逃げ落ちる途上にある村々を、警備の軍に命じて皆殺しにしています。恐怖に駆られた李承晩には、一般の民間人がことごとく北朝鮮兵に見えたからだといいます。これが一国の最高責任者が自国民にしたことというのですから呆れます。

 ただ、大陸や半島においては、これは伝統でもあります。便衣兵は何もChina国民党の専売特許ではなく、そのあたりの軍の一般的行動だからです。
 そもそも軍と暴徒とヤクザがまったく同じものだという、信じられないような伝統がChinaや半島の文化です。


「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/

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