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オバマ広島訪問への韓国の視角 「歴史和解のモデル」と評価

日本より敏感な反応示す

 韓国では5月末のオバマ米大統領による広島訪問を批判的に見る視角が多かった。「日本に免罪符を与えた」「安倍政権への贈り物」「中国牽制する政略的ジェスチャー」などだ。しかし、そうした歪(ゆが)んだ視点からは日米関係の本質や、そもそも「謝罪」を挟んだ国家間の深い在り方を理解することはできない。

 日韓関係での韓国のように、被害者意識で膨らませた歴史を盾に「謝罪」に拘泥して、より重要なものを見逃したり犠牲にしたりすると、自らを窮地に追い込む愚を招くことになる。オバマ広島訪問を冷静に見て、そこから学ぶべきものをくみ取れるかどうかは韓国人の成熟度にかかっている。

 現在、こんなことを韓国で言えば、批判の嵐になるだろうが、そこを敢(あ)えて発言したのが、外交官出身でソウルに日本式うどん店「桐山」を開いたシン・サンモク代表だ。朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(7月号)に「オバマの日本式謝罪」を寄せている。

 オバマ広島訪問について、韓国では「韓国人慰霊碑も訪問せよ」という意見だけでなく、謝罪要求までが飛び出し、むしろ日本よりも敏感な反応を示していた。さらに「韓国外交は何をしていたのか」と政府を叱責する声まで出る始末。

 そうした感情的対応が何も生み出さない、ということを筆者はよく知っているようだ。だから、韓国読者に「日米両国民がお互いをさらに深く理解することになった歴史的イベントがどのように可能だったのかという戦略的読解が必要になる」と説く。

 訪問の最大の障害物は「謝罪」だった。日米関係でこの点の“瀬踏み”は2010年、ジョン・ルース駐日米大使による初めての広島慰霊祭公式参加で始められた。ルース氏は、日本メディアのインタビューに、「日本人は一様に『行く』こと自体の重要さを強調した」「誰も私の訪問を謝罪と感じなかったし、日本が謝罪を要求することもなかった」と述べたと紹介する。そこに参加し、哀悼の意を表すだけ。日本が米国に求めたのはこれだけだった、というものだ。

 シン氏は、「多数の日本人は願わない謝罪を要求して停滞するより、未来へ向かうことにより大きい価値を付与してオバマを歓迎した」とし、「終わってみれば、謝罪は格別意味があることではなかった」と感想を述べる。

 そして、「オバマは謝らなかったけれど謝ったし、日本人は謝罪を要求しなかったけれど謝罪された」という“奇跡のようなこと”が起こったことを韓国読者に伝えている。これは「『謝罪は謝る側の問題』という日本人の謝罪観で開けて置いた門をオバマが通った」ことで可能になったものだ。

 激しい謝罪要求と糾弾の繰り返しは、かえって相手を頑(かたく)なにし、和解の機会を閉ざす。まさに今の日韓関係がそれに近い。日本は謝るべきことに対して、謝るタイミングを失い、韓国は糾弾するあまり、相手に謝る機会すら与えていない。だれもこの状況でいいとは思っていないが、お互いの不信感が積もり積もって、もはや正対することも難しくなっている。それは形式的な政治的解決が国民感情にまで染み渡っていないことをみれば明らかだ。

 シン氏は、「オバマの広島訪問は東アジアで歴史和解を引き出すことができるモデルでありモメンタムでありうる」と高く評価し、「加害国の政治指導者の所信と行動が躍動性の出発点」だと強調している。

 その心は、日本指導者が思い切って韓国を訪問して慰霊し哀悼を示す、韓国民はそこで謝罪を求めない、ということだ。これが可能かどうかは政治指導者同士が信頼をつくらないことには難しい。メディアがいたずらに国民感情を煽(あお)ってもならない。

 「同じ理念と価値を共有する国家の間で、歴史の和解というのは思ったより複雑で難しいことではないのかもしれない」とシン氏は楽観的見方で稿を締めくくっている。

 だが、歴史捏造(ねつぞう)のように「同じ理念と価値を共有する」ことが、そもそも難しくなってはいないだろうか、それが心配である。

 編集委員 岩崎 哲

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