ワシントン・タイムズ・ジャパン

集玉齋図書館

韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 景福宮の集玉齋(チボクジェ)は(朝鮮26代王、大韓帝国皇帝)高宗(コジョン)の書斎だ。1881年、昌徳宮の別堂として建てられ、91年、景福宮の北門、神武門の内側の現在の位置に移設された。高宗は(朝鮮22代王)正祖(チョンジョ)の治世を王政の模範としていたので、正祖の改革政治の中心だった奎章閣(キュジャンカク)(王室図書館)の評価を高め、奎章閣の図書整理事業を行ったという。
 集玉齋は両側にレンガの壁を造り、外から見ると平屋だが内部は2階建てで、広いホールに椅子と机が置かれていた。看板も横でなく縦長だった。美術史学者の兪弘★は『私の文化遺産踏査記』で「高宗当時の立場でいえば時流に合わせて造った新式建物」だと言った。

 高宗は時代の変化を読もうとした。中国への朝貢冊封関係で国を維持していた朝鮮が自主国家に変わるためには新しい国際秩序に編入されるべきだと判断したようだ。当時、先進文明の輸入窓口だった中国から西洋の制度・文明を紹介する書物など新書籍約4万冊を購入して集玉齋に置き、国際情勢を把握したり政策立案の資料として利用した。歴史学者の李泰鎮は『高宗時代の再照明』で「高宗が先頭に立って集めた新文明関連書籍を含む各種の中国書籍は光武改革(大韓帝国初期の近代化改革)の土台として活用された」と指摘し、高宗は“東道西器・旧本新参の開化主義者”だったと述べている。

 高宗は集玉齋に歴代の王の御真(肖像画)を奉安し、ここで外国の公使たちを接見した。1893年の1年だけで英国、日本、ロシア、オーストリアなど外国の公使と5回も会った記録がある。これについて李泰鎮は「外国公使を接見し御真が奉安されていたとすれば、ここが王の執務場所であったことは疑いの余地がない」と述べている。

 集玉齋一帯には現代史の屈曲した陰が残る。青瓦台(大統領官邸)警備部隊の駐屯地として1961年に軍部隊が配置され、65年から96年まで政治軍人の産室だった首都防衛司令部30警備団があった。全斗煥元大統領は中佐時代に団長を務めたここを79年の12・12粛軍クーデターの拠点にした。

 集玉齋が小さな図書館に変身して一昨日、一般公開された。既存の施設を保存しつつ書架と閲覧台を新しく設置。集玉齋と廊下でつながる八隅亭と協吉堂はそれぞれブックカフェーと閲覧室になった。読書と歴史、文化が結合し近現代史が息づく場所だ。

 危機に処した国で開化による中興を目指した高宗の夢を垣間見ることのできる場だ。

 (4月30日付)

★=さんずいに睿

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

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