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家の奴隷

韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 大きな心をもって出掛けた海外旅行の楽しみも一瞬で終わる。疲れ果てた旅程の終わる頃になれば、間違いなく「家を出れば苦労」という言葉が頭をよぎる。学生時代に先生が家庭調査をした時、「自宅」だと堂々と手を挙げた友達をうらやましそうに眺めていたこともあった。大きかろうが小さかろうが、暖かい日差しが家の中を照らすと、埃(ほこり)がつく隙間もないくらい、毎日ピカピカに掃いて拭くのが母親たちの日常だった。小さな所帯道具でも一つ置くようになると、どこに置こうか悩むことが家を持つ人間の“小確幸”(小さくて確実な幸せ)だった。それほど、韓国人にとって家の意味は格別だ。

 国会の法制司法委員会(法司委)が一昨日、不動産増税法案を単独処理した後、同委の尹ホジュン委員長は「大韓民国の国民が生涯、家の奴隷として暮らすことから抜け出した歴史的な日」だと語った。“奴隷”という表現を何度も使って自画自賛した。これまで国民の全てが奴隷として暮らしてきたということなのか。新しい解放の意味を込めて、第二の光復節に指定しようという皮肉まで出ている。

 家は単純な住居という概念を超えて“成功”や“老後保証”の象徴として認識されてきた。今はどうか。家を数軒持つ人や高価な家を1軒持つ人は犯罪者のように扱われる。多住宅者と高価住宅保有者からがっぽり税金を取り立てようとする。市場に及ぼす影響は後回しだ。納税者たる国民の意見も求めない“財産権の侵害”に加えて、“過剰禁止”の原則にも反するにもかかわらずだ。とはいっても多住宅者が税金爆弾が怖くて、快く家を明け渡して奴隷の生活を捨てるかどうかも疑問だ。一生苦労して手に入れた“賢い1軒”を保有した人々は、さらに手に入れるに違いない。

 “ヨンクルテチュル”(霊魂まで引き寄せて貸し出し)という言葉が出回るように、依然として家を買うのは空の星を取るほど難しい。自分の家を手に入れる夢を持った彼らは何になるというのか。家の奴隷になる前に、一生“家賃の奴隷”として生きろというのだろうか。これが続けば、マンション1軒だけ持つように強制する規定が高位公職者を越えて一般国民まで襲ってくるのではないかと心配だ。「大きな政府は失敗を生む」という言葉がある。権力が経済・社会政策を牛耳る国家主義の悪弊だ。市場を無視して個人の財産権を侵害し、不動産価格を安定させるという国家主義は“百戦百敗”だ。

(8月5日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

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