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韓国の不買運動と察することの大切さ

 「察する文化」では、察した側、つまり人の上に立つ側に責任の全部が生じます。「結果で評価する文化」では、下の者が全責任を負います。果たして、民衆にとって、あるいは人類にとってと言っても良いのですが、果たしてどちらが幸せといえるのでしょうか。

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画像出所=https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%A7%E4%B8%8D%E8%B2%B7%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%AF%BE%E8%B1%A1%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%80%816%E5%B9%B4%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A21%E4%BD%8D/ar-AAEGgLJ
(画像は上記URLをクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

  笑 いを通り越して、ただ呆れ果ててしまうのが、最近の韓国の日本製品不買運動への韓国大手新聞の反応です。
日本製品ボイコットは、結果として韓国国民の生活を圧迫すると、各紙が書き始めました。
日本側にはほとんど影響がなく、むしろただでさえ雇用情勢が悪化している韓国に悪影響が出る。
そもそも日本からの輸入は、95%が部品等であり、完成品の不買運動は、日本にとっては、韓国への総輸出総額の0.5%の減少にしかならない。
一方韓国経済に与える影響は、計り知れないダメージとなる。。。というわけです。

 しかしそんなことは不買運動を始める前から、少し考えれば誰にでもわかる簡単な理屈であり計算です。
いまさら、馬鹿としか言いようがない。そう思います。

 だからといって日本も、韓国の現状を笑えないのです。
昨今の日本人も、先を読んで行動するということが、まったくできなくなっているといわれているからです。
洞察力、想像力が欠落してきているのです。
1手先を読むだけで、まったく違ってきます。
3手、4手先を読むと、相当な危機に至っても最後には勝利を掴むことができるようになります。

 囲碁や将棋では、数十手先まで読むのが普通ですが、現実生活では、詰将棋でいうなら、3手詰め程度に先を読む力を発揮するだけで、人生がまるで変わってくるし、国家間の関係も大いに変わってきます。

 そして実は、そうした「察する力」を、とことん追求してきたのが、飛鳥奈良平安にいたるわが国の政治であったし、聖徳太子の十七条憲法です。
十七条憲法の第11条でうたわれているのが、「明察功過」です。

 「明察功過」は、「功過(こうか)あきらかに察せよ」と読みます。
「功過」とは、功績と過ちのことです。
結果が出てから評価するのではなく、結果が出る前に「察せよ」というのが「明察功過」です。

 これは現代における政治や行政や司法、あるいはメディアとは真逆の姿勢です。
現代は、何事も結果主義です。
成功も失敗も、結果が出てから、結果だけを評価します。
その評価は、さらにランキングまでされています。

 しかし実は、結果が出てから評価するという姿勢は、実はとても無責任な姿勢です。
なぜなら既に結果が出ている以上、結果責任は評価する者ではなく、評価される側、つまり当事者が一切の責任を負担することになるからです。

 たとえば嫌がらせやイジメなどの被害を受けたとします。
警察に相談に行きますと、警察は実際に怪我をしたり死者が出てからでないと動けないという。
しかし、少し考えたらわかることですが、けが人や死人が出たら、もう手遅れなのです。

 もちろん犯人は逮捕され、処罰されなければなりませんが、しかしこの場合、悪いのは本当に犯人だけなのでしょうか。
犯罪が起きることが、あらかじめ予見されていたのに、何もしなかった側には、責任はないのでしょうか。

 犯罪が行われてしまえば、それは被害者にとっても、加害者やその家族にとっても、それは最大の不幸です。
そのような不幸を招かないように、先に手を打つことはできなかったのでしょうか。
そしてその先に手を打つことの責任は、誰にあるのでしょうか。

 このように考えると、犯人逮捕というのは、実は、犯人に対する「責任転嫁でしかない」といえるものであるとお気づきになると思います。

 犯罪でわかりにくいなら、火事でも良いです。
大規模な火災が起き、多数の死者が出てしまった。
それはとっても不幸なことです。
しかし、その火災は、本当に防ぐことができなかったものなのでしょうか。
あるいは、ボヤのうちに消し止めることはできなかったのでしょうか。
大火災にまで発展したのは、どうしてなのでしょうか。

 その原因を追求し、二度と、同じような大火災が起きないようにしていく。
そのために考え出された様々な施策を、世間の人々に守らせる。
あるいは守られているかどうかを、日常的にチェックしていく。
そうすることで、誰もが安全で安心して生きることができる社会を構築していく。
本当は、そこが大事なのです。

 そしてそれでも火災が起きたなら、いったい誰が、その責任者なのか、ということになります。
それはおそらく、その問題について権限を持っている人です。
なぜなら、権限と責任は、常にセットだからです。

 地域の火災予防に全責任を負っている人がいて、その地域で火災が起きてしまったのなら、その責任は地域の火災予防に全責任を負っている人が負担しなければなりません。あたりまえのことです。

 学校のイジメ問題なら、イジメが起きてから、「たいへんだ、たいへんだ」といって騒ぐのは愚の骨頂です。
挙げ句の果てが、「イジメた奴は誰だ」とばかり、学校内で犯人探しをはじめるなんて最低です。

 そんなことをすれば生徒間にも、PTAと教師の間にも疑心暗鬼が起こり、生徒の絆もPTAと教師の関係も、ズタズタに引き裂かれてしまいます。
なぜそうなるかといえば、責任を「イジメた生徒に転嫁している」からです。

だから、わが国では聖徳太子以来、「察する」という社会体制が構築されてきたのです。
 「察する」という社会姿勢のもとでは、権限を持った者が常に責任を負います。
つまりこれは施政者に厳しい社会体制です。
しかし国をあげてこうした取り組みがなされたとき、当然のことですが、民の安寧は守られます。

 実は、古代の日本において犯罪がほとんどなかったこと、あるいは江戸日本において、犯罪がほとんど発生しなかったのは、こうして事前に犯罪の発生そのものを抑止する、犯罪が発生しそうなその情況をあらかじめ察して、事前に手を打つということが、現実に行われ、それが定着していたからです。
これが十七条憲法11条の「明察功過」です。

 話が少し脱せんしますが、江戸の享保年間といえば、徳川将軍吉宗の時代です。
その享保の二十年間、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された犯罪者の数は、二〇年で、ゼロ人です。誰ひとり逮捕される人がいなかったのです。
それは役人がさぼっていたとか、そういうことではなくて、犯罪の発生を未然に防ぐという体制が、完全に定着していたからこそ実現できたことだったし、犯罪が起これば、それは担当している同心の責任であり、その上司の与力の責任になるから、彼らは必死になって犯罪抑止につとめたのです。

 最近ではどうでしょう。
警察は犯罪が発生してからしか動かず、その一方で、かつての日本社会では考えもつかなかった、殺人、暴力、強姦が多発していますし、学校では多くの学校でイジメ問題が、まるで解決されません。
あたりまえです。基本が間違っているのです。
起きてから評価しているだけだからです。

 では昔の日本ではどうだったかというと、起きないように事前にあらゆる努力を払ってきていたのです。
そしてそれこそが、政治家や官僚たち、あるいは教師たちなど、人の上に立つ人たちの責任だったのです。
そしてその原因の糸をずっとたぐっていくと、聖徳太子の十七条憲法の「明察功過」に行き当たります。

 このような様々な事象を事前に察知してあらかじめ手を打つという仕組みは、時代が荒れた平安末期の時代には完全に定着していたことです。
だからこそ、古代の日本では、平安末期まで約600年にわたる平安が保たれたのだし、江戸時代においても、犯罪の発生そのものがなかったのです。

 平安末期になりますと、保元の乱以降、武力衝突が目立つようになり、源平合戦が起こり、鎌倉幕府が起こるという、血なまぐさい戦(いくさ)が頻発するようになりますが、いずれの場合も、実際に反乱が起きたから対処するというのではなくて、反乱が起きそうだ、あるいはその気配があるという時点で、兵を挙げて逮捕者を出しています。
要するに、あくまでも争いが起きないように、事前に手を打つということが、施政者におけるもっとも重要な役割という認識がそれらの根底にあるわけです。

 そして事態が起こらないように、あるいは良い方向に向かうように事前に手を打つためには、あらかじめ、わずかな徴候から、事態を「察する」という社会姿勢、社会文化が、その大前提になります。
そして「察する」ためには、施政者の側、人の上に立つ側に、それだけの「察する能力」が必要になります。

 ですからそのために貴族たちは、和歌を詠み、また読むことで「察する」能力を極限まで磨き上げ、また相互にそれを啓発するために、頻繁に歌会を催していたのです。
なぜなら和歌というのは、上の句と下の句がありますが、その上下の句の文字上に書いてあることは、詠み手の真実、詠み手が伝えたい心ではありません。
いわば上の句と下の句は、ベクトルのようなもので、本当に言いたいことは別にある。
それを、上の句と下の句から、「察する」という文化であり、技術であり、芸術だからです。

 そういう「察する」技術を、彼らは歌会を頻繁に催して自分の「察する能力」を磨き、また部下たちの「察する」能力を判断し、人事を決めたりしていました。
それは、どこまでも「明察功過」がその根底にあるからです。
ですから彼らは、単にお楽しみとして和歌をやっていたわけではなく、どこまでも政治のため、民のため、国のために、忙しい政務の合間に時間をつくって、和歌をやっていたのです。

 ところが昨今の教育現場では、その事の前後を逆転させて、「政治や行政を放ったらかしにして歌会ばかりを開いていたのだ」と生徒に教えるし、またドラマや映画、あるいは小説などにおいても、お公家さんといえば、「まろこそはぁ〜」と、仕事もしないで歌ばかり詠んでいたまるで遊び人のように描かれます。実にとんでもないことです。それは日本の文化に対する冒涜であり、日本文化への破壊行為です。

 彼らは、もちろん楽しみのため、という側面もあったでしょうが、政治や行政を司る者として、その能力を生涯にわたって高めようとし、その能力を最大限に活用して、政治や行政を行っていたのです。
能書きばかりで仕事もせず、大物を装って気取るだけで民のために何もして来なかったというのは、斜め上にある国の貴族たちです。
わたしたちの国の統治者たちであった貴族たちとは、まるで異なる存在です。
混同しないでいてもらいたいと思います。

 奈良、平安の昔には犯罪がほとんどなかったというのも、犯罪が起こらないように、民間の事情をよく察して、常に先手をとって犯罪を抑止してきたからこそ、何百年もの間、大事が起こらずにこれたということができます。
政務をほったらかして歌ばかり詠んでいたのでは決してなくて、あくまで政務を行うために、和歌を通じて、相互にその能力を磨いていたのです。

 また同時に和歌は、歌会などを通じて、昨今のビジネスマンのゴルフの付き合いのような人間関係構築のための場にもなっていました。
そういう人間関係構築という意味では、体力と技術のゴルフよりも、察する心そのものを養う歌会の方が、もしかしたら、政治家や高級官僚のたしなみとしては、はるかに優れていたといえるかもしれません。

 ところが戦後の日本の政治や行政は、和歌を失いました。
そしていまは、「結果しか見ない」という世の中になっています。

 「察する文化」では、察した側、つまり人の上に立つ側に責任の全部が生じます。
「結果で評価する文化」では、下の者が全責任を負います。
果たして、民衆にとって、あるいは人類にとってと言っても良いのですが、果たしてどちらが幸せといえるのでしょうか。

※この記事は2014年9月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。


「ねずさんのひとりごと」より転載
http://nezu3344.com/blog-entry-4266.html#more

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