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北朝鮮報道史の二つの汚点

道義的責任を忘れまい

yamada

 先月、脱北者5人が東京地裁に北朝鮮政府を人権侵害で初提訴した。1959~84年に、在日朝鮮・韓国人と日本人妻ら約9万3000人を虚偽宣伝で騙(だま)し、帰国させる「国家的誘拐」を行った。朝鮮総連が「地上の楽園」と宣伝したが、現実は劣悪な生活と人権完全抑圧の「地獄」だった。それを世界に訴えたい――という。

 2008年にやはり脱北女性が朝鮮総連を訴えたが、長年が経過したとして退けられた。今回は北の政府相手だから一層困難だろう。

 だが、日本のメディアは改めて北朝鮮帰還事業報道に関し、今も続く道義的責任を強く自覚すべきだろう。北朝鮮報道は問題が多いが、特に重大な汚点が二つあったと思う。

 一つが帰還報道で、北の虚像を伝え帰国者を増やし、苦難に導いた。

 評論家の寺尾五郎氏は、帰還開始直前に北礼賛ルポ「38度線の北」を著した。59年末の開始と共に招かれて訪朝した朝毎読・産経・共同の記者たちも、北の社会がいかに意気高く発展しつつあるかを書き、本や講演でも力説した。

 「古い農村の影はない」「一夜で街が変わる」「働けば働くほど生活が目に見えてよくなる。嬉しくて皆働きたくなる」「日本が東洋一の工業国を自負できるのは今年か来年だけ」「家も米もただの様に安い」「解放直後、非識字者が230万人いたが、今やゼロ」「人口の4分の1が学生生徒。奨学金制度が充実し、身一つで入学できる」「金日成首相は実に気さく。帰還者はいつでも会うよと言われ大喜び」など。相手の言うまま、言わされているままを書き、集団的大誤報となった。

 その後当事者(社)の反省はほとんど聞かなかった。04年7月、朝日は「過去の北朝鮮報道検証」を特集したが、「プロパガンダの判断が難しかった」「日本が植民地支配で虐げた後ろめたさがあり、頑張れという気持ちだった」など弁解特集だった。

 二つ目の汚点は拉致問題対応で、中でも80 年代末~90年代初めの無関心だ。 88年3月、国会で梶山法相が北による拉致事件の存在を認めたのに、朝毎読は1行も報じなかった。特に酷(ひど)いのは、その後金日成主席と会見した政治家や報道の訪朝団(90年金丸自民党副総裁ら、91年共同、92年朝日)が、拉致のらの字も口にしなかったことである。

 朝日は主席が「非核国家だから(米国などが求めている)核査察受け入れに問題はない」と言明したことと並べ、映画「男はつらいよ」全巻と「釣りバカ日誌」を観(み)た話を大扱いした。金丸訪朝団はもちろんだが、共同や朝日が拉致問題を提起していたら、展開が変わる可能性があったと思う。

 当時私はワシントン駐在記者で、ウィリアム・テイラーCSIS(戦略国際問題研究所)副所長と親しかった。安全保障専門家の彼は、91年末と92年初めに連続訪朝した。米国は核査察問題に加え、北朝鮮をテロ支援国として制裁も科していた。北はテイラー氏にパイプ役を期待し、彼の説得を入れ「テロ非難声明」を出したりした。その彼からこんな話を聞いた。

 「金日成氏と会見中、息子の金正日書記のことに言及したら、至極不機嫌な顔をしたので驚いた。テロなど息子の強引なやり方に満足していないなと感じた」。

 北は対日関係改善も望んでいた。儒教的“絶対王朝”だけに、父が息子に「拉致問題を何とかせよ」と命じ、息子が従う可能性がかなりあったのではないか。

 集団的大誤報と欠陥会見。被害者への謝罪の気持ちを込め、また将来への反面教師として、もっとしっかり日本報道史に書き留めるべきと思われる。

(元嘉悦大学教授)

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