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板門店宣言とパリ和平協定、酷似した朝鮮半島と南北ベトナム

両合意の各条文が全て相対

 朝鮮半島の南北首脳による「板門店宣言」(4月27日)が“歴史的な”ものになるのか“紙切れ”に終わるのかは、後世の評価を待たねばならないが、早くも韓国では歴史の教訓に照らして、「紙切れにすぎない」と指摘する論調が出てきている。

 『月刊朝鮮』(7月号)で裵振栄(ペジンヨン)記者がベトナム戦争における1973年の「パリ和平協定」を引き合いに出して、その相似性をまとめているのだが、驚くほど似ており興味深い。

 南北に分断されていた頃のベトナムは現在の朝鮮半島と状況がよく似ている。記事では「ベトナムも理念のために民族が南北に分断され、米国など外国軍が加勢した激しい戦争を体験した。それぞれの異なる思想のために“民族史的正統性”をめぐり争った」としている。

 さらに、「南部地域に北側に追従する反体制勢力が強固に形成されて、体制を弱体化させたという点も似ている」という指摘には苦笑させられた。実体は北ベトナムのフロント組織だった「南ベトナム解放戦線」と、韓国の「従北勢力」「主体思想派」とは、共産主義の浸透工作が35年経(た)った今でも相変わらず“通用”してしまうことを示しているからだ。

 さて、パリ和平協定(以後、協定)と板門店宣言(以後、宣言)の共通点を見てみる。協定では「ベトナムの独立、主権、単一性および領土的保全を尊重する」とあるのは、宣言の「体制保証」に当たる。

 協定の「米軍の軍事的介入を中断し、ベトナム内政に介入しない」は宣言の「内政不干渉、対北朝鮮敵視政策の放棄」を意味している。

 また「外国は南ベトナムから軍隊、軍事顧問団、技術および軍事要員、軍事物資を全部撤収する」という協定の部分は、宣言の「在韓米軍の撤退」のことだ。

 このように和平協定の各条文を見ていくと、「体制保証」「内政不干渉」「南北相互体制尊重」「相互不可侵」など、ことごとく相対している。さらには「終戦宣言」や「平和協定」「米朝国交正常化」に相当する協定の条文もある。

 パリ和平協定を締結し、米軍が撤退していった南ベトナムには平和が訪れただろうか。歴史を見れば明らかなように、北ベトナムは協定を破り、南侵を開始、2年後の75年4月30日にはサイゴン(現ホーチミン)が陥落し、南ベトナムという国家は地上から消滅して、南北は共産統一された。

 米国が当時、北ベトナムの“下心”を知らなかったはずはない。だが、72年の大統領再選を目指していたリチャード・ニクソンは、国内に反戦、厭戦(えんせん)ムードが高まっていたこともあって、和平協定締結にこだわり、たとえ米国と北ベトナム2者であっても、協定を結び、ベトナムの泥沼から足を抜こうとしていた。

 和平協定締結当時、いずれ北が南侵してくると予測して警告する者が南ベトナムにいなかったわけではないが、北の工作・司令を受けた“平和勢力”“反戦勢力”の声にかき消されてしまった。

 韓国人はよく「歴史に学ばない者は愚かだ」と他に教訓を垂れるが、今やその言葉がそのまま自らの上に降り掛かってこないとも限らない状況に立たされている。現在では武力によらず、世論工作や選挙といった“民主的な”手続きでそれが可能だ。「平和協定が締結されさえすれば、すぐにでも韓半島に恒久的平和が到来するという甘い主張が蔓延(まんえん)する」韓国で、同誌の警鐘は国民のどこまで届き、どこまで共感を得られるのか、危惧する。

 編集委員 岩崎 哲

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