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カズオ・イシグロを読む

 とても文学的な週だった。オーストリアで文学週間だったというだけでなく、今年のノーベル文学賞をとった Kazuo Ishiguro の作品を読み始めて、その素晴らしさに触れたからだ。

 私は18、19世紀、20世紀初期の本をよく読む。現代文学はあまり知らない。だが、「日本生まれのイギリス人作家」にとても興味を持った。今初めて知ったの?と、学生時代の友達は言うかもしれない。そう、先週、初めて読み始めたのだ。4日間で3作品を引き込まれるようにして読んだ。

 最初に読んだのは、イギリスのブッカー賞を受賞した“ The Remains of the Day ”(日の名残り) だ。一見単調で退屈な話だと思った。主人公は英国人のスティーブンスという執事。彼が自分の人生を語る。
 数日の休みをもらった彼は車で、田園風景の中を走りながら旅する。過ぎ去った日々を思い出し、人生を振り返る。そして昔一緒に働いた Miss ケントンに会いに行く。本を読み始めた時、主人公の冷たく取り繕った言葉や行動に、感情を出すことを恥ずかしく思っているような不自然さを感じた。しかし、少しずつ分かり始め、最後には、スティーブンスに同情と共感を覚えた。

 私が特に心揺さぶられたのは スティーブンスが、自分の人生で何を失ったかに気づく場面だ。彼は一生の間、高い地位の人(世界に良い影響を与えるような重要で価値ある人々……と彼は思っていた)のために自分を犠牲にして忠実に仕えてきた。だが、実際は悪用されていたのだ。いつも自分を否定し、尊厳と規律のために感情を埋めて生きてきた。ある場面では、ただ自分を捧げて主人に仕えてきたと気がつく。彼の全存在は 自分ではなく他人のためのものだった……。
 彼の非人間的とも思える固い心の壁は、20年後に Missケントンと再会し 彼女の愛の告白を聞いた瞬間、砕け散った。
 ”…. at that moment, my heart was breaking.”
 感情や内面をだれにも吐露することがなかっただけではなく、自分の本当の心すら知らなかったスティーブンスだった故に、この台詞は強いインパクトを与える。ここで彼は素直に感じたことを表現した。自分に向き合って自白することは痛いことだ。自分に正直になって間違いを認めることをも意味するからだ。でも、分かった時はもう遅いのだ。

 2冊目は“A Pale View of Hills“(遠い山なみの光)で Ishiguro のデビュー小説だ。主人公の日本女性、悦子が語り手となっている。英国に来て2番目の夫の死、最初の夫との娘の自殺という悲しみを体験した彼女が長崎の夏の心に深く刻み込まれた出来事を思い出している。友人の幸子とその娘は悦子の運命と重なってくる。過去を背負い、どのように現在を生き、未来を見つめるかというテーマだ。夜も深まった静けさの中でこの本を読んだので、登場する女性たちの悲しみ、痛み、憂いを一層強く感じた。一気に読み終えた。

 3冊目は 5つの短編からなる“ Nocturnes ”を読んだ。この小説に出てくる主人公の夢と希望は音楽にシンボル化されている。理想と現実、逃してしまったチャンスと後悔……それがテーマだ。中でも2作目(Come Rain or Come Shine)と4作目(Nocturne)には、思わず笑ってしまった。哀しい憂いに満ちたトーンにもかかわらず、コミカルな要素が至る所に散らばっている。
 このテーマを大げさに扱っている作品が“ Cellists ”だ。先述したように夢と現実との葛藤だ。主人公は中年のアメリカ人のチェロ奏者。若いハンガリー人のチェリストは 彼女から才能を認められ、支援と指導を受けることになる。話は急展開する。彼女自身はチェロを弾けないことが分かってくる。小さい時から自分を天才だと思っていた彼女はチェロの授業を受けなかった。なぜなら、自分の稀な才能と素質を壊されないためという。

 この短編に出てくる登場人物たちはいずれもチャレンジしたが成功しなかった人々だ。ただ彼女だけは自分に嘘をつき、幻想を抱き、一度も努力せず、夢を見続けた。現実が怖くて自分を乗り越えることもしない。悲惨だ。
 3作品とも、満たされない人生を歩む人物を描いている。夢は残酷な現実によって打ち砕かれる。人は時間を呼び戻すことはできないし、現実は目の前に突きつけられる。それでも人生はまだ続いていく。地球は迷うことなく回り続ける。
 信じたことのために戦ってきた挙句、間違っていたり、意味がないことと悟った時、人は何をするか。一度しかない人生が描いた通りにならなかったら?そして、もう遅すぎたら? Ishiguro は小説の中でこのようなテーマを問いかけている。
 作者は“ Zeit Online ”のインタビュー(1990年)で以下のように語っている。

 私が興味を持つのは、よい人生を送りたい人間の抑えきれない衝動や熱望だ。「よい」というのは宗教的な意味でなく、満たされたという意味だ。人生で自分が願ったほどには成功しなかったと気づいた時、それでも一種の尊厳や価値を失わないように努力している人たちだ。

 Ishiguro の作品は、傷ついた人間の魂に言葉を与えて語らせている。


「ウィーンのカミちゃんの呟き」からの転載
http://blog.livedoor.jp/ogawakamiyoblog/

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