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「ヒトラーはわが国の英雄にあらず」

 オーストリアのトーマス・ドロツダ文化相(ThomasDrozda)が先日、「ウィーンの英雄広場を共和国広場とか何か新しい名称に改名すべきではないか」と提案したことを受け、オーストリアで政党やメディアの間で「英雄広場」の改名論争が展開されてきた。

英雄広場

ウィーン市の英雄広場(ウィキぺディアから)

 音楽の都ウィーン市の中心部に「英雄広場」(Heldenplatz)がある。ウィーン入りしたアドルフ・ヒトラーが1938年、有名な凱旋演説をした場所だ。20万人のウィーン市民がヒトラーの凱旋を大歓迎し、その演説に傾聴した歴史的な場所として有名だ。

 なぜ、社会民主党の同文化相が突然、「英雄広場」の改名を提案したのか、その詳細な背景は不明だが、はっきりとしている点は「英雄広場」とアドルフ・ヒトラーがリンクされ、「英雄広場」を聞くたびにオーストリアの歴史の負の側面が浮かび上がることに、文化相としては堪らないのだろう。オーストリアにはハプスブルク王朝時代、中欧を支配した輝かしい歴史があるという自負もあるのだろう。

 「英雄広場」の改名案を支持する知識人は「ヒトラーは明らかにわが国の英雄ではない。英雄広場からヒトラーの亡霊を断つべきだ」と主張する。

 「英雄広場」には2つの騎馬像が立っている。ひとつはナポレオン戦争の英雄カール・フォン・エスターライヒ大公(1771年~1847年)で1859年に建立された。一方、新宮殿前の国立図書館寄りにある記念像はオスマン・トルコとの戦いで勝利を獲得した英雄オイゲン・フォン・ザヴォイエン公(1663年~1736年)だ。2人は文字通り、オーストリア国民にとっても英雄だが、ヒトラーはそうではないというわけだ。換言すれば、ヒトラーの悪夢とリンクされる英雄広場を解放しようという試みで、改名はその手段というわけだ。

 一方、改名に反対する歴史家たちは「歴史には明暗がある。喜ばしい時代もそうではない時代も歴史だ。その歴史的名称を現代人の目から判断して歴史を曲げることは良くない」という主張だ。ちなみに、ウィーン市の名称問題はオーストリア連邦政府の管轄問題ではなく、あくまでもウィーン市の問題である。

 ウィーン市の文化評議会は2012年4月、市内1区、議会から大学までのストリートをDr.-Karl-Lueger-Ring(ドクター・カール・ルエガー・リンク)からUniversitaetsring(大学リンク)に改名したことがある。ルエガー(1844年~1910年)は1897年から1910年までウィーン市長を務めた政治家だが、反ユダヤ主義者としても有名だった。彼は当時、「ウィーン市から全てのユダヤ人が出て行けば幸せだ」と発言した。反ユダヤ主義者の名前を付けた通りの名は誤解を生むということで改名となった経緯がある(「反ユダヤ主義者を街から追放せよ」2012年4月22日参考)。

 最近では、オーストリアのオーバーエスタライヒ州西北部イン川沿いのブラウナウ・アム・イン(BraunauamInn)にアドルフ・ヒトラーの生家問題がある。政府が家主から強制収用できる法案が採決されたばかりだ。ヒトラーの生家がネオ・ナチ関係者のメッカとなることを恐れたからだ。戦後70年以上が過ぎたが、オーストリアではヒトラーに関連するものには依然、異常なほど神経を使っているわけだ。

 ウィーンがオスマン・トルコ軍に包囲された時(1683年)、ポーランドや欧州のキリスト教国がウィーン市を救済するために結集し、北上するオスマントルコ軍を押し返した。この史実は「ウィーン市の解放」という見出しで歴史書に記述されている。ソ連赤軍が1945年、ウィーン市からナチス・ドイツ軍を追放した日も同じように「解放の日」と受け取られる傾向がある。厳密にいえば、前者は文字通り「解放」だが、後者は「敗戦」を意味している「『解放』と『敗戦』ではどこが違うか」2015年4月15日参考)。

 過去、フランツ・フラニツキー首相(任期1986年6月~96年3月)がイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて正式に認めたことから、同国は「解放史観」から文字通り解放され、事実に直面するようになった。そこまで到達するのに半世紀余りの歳月を要した。中欧の盟主を誇ってきたオーストリアにとっては決して容易なプロセスではなかったはずだ。

 オーストリアの歴史の中にも多数の英雄がいた。同時に、民族の名誉を傷つけた人物も出てきた。オーストリアの歴史だけではない。どの民族も程度の差こそあれ同様だろう。ヒトラーのウィーン凱旋前の1878年に既にあった「英雄広場」の改名は不必要だ。

(ウィーン在住)

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