ワシントン・タイムズ・ジャパン

政治家の「運勢」有無が政界を動かす

 ドイツの与党「キリスト教民主同盟」(CDU)の連邦首相候補者アルミン・ラシェット党首は25日を期してノルトライン・ヴェストファーレン州(NRW)首相の座を降り、選挙後開会する連邦議会の議員となる。ラシェット党首は連邦議会(下院)選前、選挙で敗北し首相になれなかった場合も州首相の座は降りると表明していた。

▲社会民主党の次期首相候補者ショルツ財務相(SPD公式サイドから)

▲社会民主党の次期首相候補者ショルツ財務相(SPD公式サイドから)

 ドイツ最大州ノルトライン・ヴェストファーレン州出身のラシェット党首は、「あの日、あの時」笑顔を見せなかったならば、連邦議会選で社会民主党(SPD)のオーラフ・ショルツ財務相(副首相兼任)を破り、第1党を維持し、今頃は連立政権工作に没頭していたかもしれない。実際、「あの日、あの時」の笑顔前の世論調査では「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)はSPDを抜いて第1党と予測されていたのだ。「あの日、あの時」の笑顔以後、同党首の運勢は滑り台から降りるように、下降していった。

 「あの日、あの時」の笑顔事件についてはこのコラム欄でも紹介した。「空気を読めない政治家の失態」2021年7月20日)の一部を再掲載する。

 「ラシェット党首は7月17日、シュタインマイヤー大統領と大洪水の被害にあった被災地を訪ねたが、大統領が話している時、現地視察の付き添い関係者と面白おかしく談笑している姿がカメラマンに撮られたのだ。他政党から早速、『不謹慎だ』と糾弾され、謝罪に追い込まれた。多くの犠牲者を出した被災地を訪問し、悪気があったわけではなかったが、笑いがこぼれたのだ。通常の選挙集会や会合では笑顔もいいが、大洪水で家屋を失い、家人も失った犠牲者たちの前で笑いを見せたのは政治家でなくても厳しい。ドイツ16州の中で人口最大州の首相を務めるベテラン政治家としては大失策だといわざるを得ない」

 あれ以来、同党首には勢いがなくなった。メディアではあまり報道されなかった出来事を紹介する。投票日の9月26日、同党首は夫人を連れ投票場に行った。そこで投票をすまし、その投票用紙を投票箱に入れようとした時だ。待機していたカメラマンのフラッシュが光った。その時、ラシェット党首は投票用紙を折りたたむことを忘れて投票箱に入れてしまったのだ。選挙関連法では有権者は投票用紙を外から見えないように折って投票箱に入れなければならない。同党首の投票は厳密にいえば選挙法違反となり、無効票となる。民間放送は同党首の記入後の投票用紙を映し出した。誰に投票したかがはっきり読み取れる。幸い、同党首の投票は無効とはならなかったが、ベテラン政治家が無効投票の失態を見せたのだ。民間放送の解説者は「ラシェット氏は疲れている」と同情していたほどだ。

 笑顔を見せてはならない時、笑顔を見せ、その瞬間をカメラマンに撮影された。それ以降、カメラマンがフラッシュを浴びせた瞬間、同党首は自動的に「心的外傷後ストレス障害症候群」(PTSD)に陥り、自制を失い、一種のパニック現象を引き起こしてしまったのではないか。「あの日、あの時」の笑顔事件でラシェット氏は人格を否定されるようなバッシングを受けてきた。同時に、自己嫌悪感に悩まされてきただろう。

 CDU/CSUは連邦議会選で戦後最悪の結果(得票率24・1%)に終わった。ラシェット党首は連邦首相に選出されるチャンスをほぼ失ったばかりか、2017年に就任したドイツ最大の州首相の座を失い、そしてCDU党首の座も他の党員に譲ることが予想されている。弱り目に祟り目だ。今年に入ってからラシェット党首の一連の言動を見ていると、本人には悪いが同氏の運勢が傾いていると言わざるを得ないのだ。

 ラシェット党首とは全く逆に、今年に入り強い運勢圏に入ったのがSPDのオーラフ・ショルツ氏だ。今年初め、SPDはCDU/CSUばかりか、「緑の党」にも抜かれ第3党と予測されてきた。それが「緑の党」のアナレーナ・ベアボック共同党首の不正キャリア問題が発覚し、同党の支持率は急落。その後、ラシェット党首の笑顔事件でCDU/CSUの支持率も落ちていった。その間、SPDとその党筆頭首相候補者のショルツ氏は何も格別な政策を発表したわけではなかったが、降下する「緑の党」とCDU/CSUをしり目にSPDは上昇気運の乗ったのだ。

 SPDの過去数年間の選挙結果はCDU/CSUより悲惨なものだった。SPDは2017年3月19日、ベルリンで臨時党大会を開き、前欧州議会議長のシュルツ氏を全党員の支持(有効投票数605票)でガブリエル党首の後任に選出し、メルケル首相の4選阻止を目標に再出発したが、その後の3つの州議会選挙(ザールランド州、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州、そしてノルトライン=ヴェストファーレン州)でことごとく敗北を喫し、本番の2017年9月24日の連邦議会選ではSPD歴史上、最悪の得票率(20・5%)に終わった。

 シュルツ党首に代わり、SPD初の女性党首としてアンドレア・ナーレス氏が昨年4月、就任したが、ナーレスSPDも前任者と同じように選挙の度に支持率を下げた。SPDは2018年10月14日のバイエル州議会選では第5党となり、極右「ドイツの為の選択肢」(AfD)の後塵を拝した。同年5月26日の欧州議会選ではSPDは15・8%と前回(2014年)比で11・5%減と大幅に得票率を失った。その結果、ナーレス党首は2019年6月2日、責任を取って党首と連邦議会(下院)の会派代表のポスト辞任を表明した。

 そして19年11月末に実施されたSPDの党員選挙の結果、党内左派のサスキア・エスケン連邦議員とノルベルト・ワルターボルヤンス・ノルトライン=ヴェストファーレン州元財務相の2人組が共同党首に選出された。SPDは過去4年間で党首が3回変わったのだ。そのSPDが今日、CDU/CSU、「緑の党」を破り、第1党に躍り出たのだ。当方がSPDの今回の勝利を「運勢」と表現する理由を理解して頂けると思う。SPDが第1党に躍進し、ショルツ財務相が次期首相に就任する可能性が出てきたのは、16年間のメルケル長期政権に国民が倦んだからだ、と受け取る向きもあるが、それでは少々不十分だ。

 ショルツ氏はSPDの党首選で敗北し、党首にも選出されなれなかったのだ。同氏は財務相として職務を続けてきた。財務相としてメルケル首相の下、新しい政策を実施したこともない。すなわち、ショルツ氏のSPDが連邦議会で第1党となって、ショルツ氏が次期首相に躍り出る理由は見当たらないのである。そこで、どうしても「運勢」という言葉が出てくるのだ。

 具体的には、見せてはならない時に笑顔を見せたラシェット党首の失態、「緑の党」ベアボック共同党首の「キャリア不正記入」という不祥事の発覚があったからだ。相手の失点でショルツ氏は政界の頂点に上り詰めようとしている。換言すれば、ショルツ氏は敵失を利用できる「運勢」があったわけだ。相手が失策してもそれを利用できない「運勢」のない政治家も少なくない中でだ。

 なお、SPDと「緑の党」とリベラル政党「自由民主党」(FDP)の3党による連立予備交渉は終わり、連立交渉が開始され、11月6日までに22の作業グループ(各党6人構成)が各分野の政策を協議する。11月末までに「連立協定」が締結され、遅くとも12月6日から始まる週には新首相を選出し、3党アンプル連立政権(SPD=赤、緑の党=緑、FDP=黄)が発足する運びとなる。

 連立交渉で問題がないわけではない。SPDとFDPの間では経済政策が異なる。双方が譲歩しない限り合意は難しい。具体的には、FDPは財務相のポストを要求するだろう。「緑の党」は環境保護省を絶対に譲らないだろう。ショルツ氏が首相に、クリスティアン・リントナーFDP党首が財務相、そして環境保護省を「緑の党」が握ることで3党が合意できれば、アンプル連立政権の発足は現実的となる。

 ショルツ氏は3党連立政権という連邦レベルでは初の試みを成功裏に出発できるのか、ポスト・メルケル時代に入るドイツの政界は欧州政界の原動力としての役割を果たすことができるのか、アンプル連立政権にはメルケル政権時代とは異なった課題が山積している。

 「運命の女神」は連邦議会選ではショルツ氏に手を差し伸べたが、いつまでその運勢が続くかは誰も分からない。ラシェット氏のカムバックもそれゆえに完全には排除できない。政界の「運命の女神」は気まぐれだからだ。

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