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なぜ「旧ユーゴ連邦」は解体したか

 旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(6共和国から構成)のスロベニア共和国とクロアチア共和国が1991年6月に連邦を離脱し、独立国家を宣言して今年で30年を迎えた。スロベニア・クロアチアと旧ユーゴ連邦軍間の「十日間戦争」後、翌年4共和国が正式に独立したため、連邦は解体していった。ここでは「なぜ旧ユーゴ連邦は解体したか」を共に考えたい。

旧ユーゴ連邦の実態を暴露したミロヴァン・ジラス(1986年12月15日、ベオグラードのジラス氏宅で撮影)

旧ユーゴ連邦の実態を暴露したミロヴァン・ジラス(1986年12月15日、ベオグラードのジラス氏宅で撮影)

 1948年、ユーゴ連邦の指導者ヨシップ・ブロズ・チトーはソ連共産党スターリンによって共産主義国のコミンフォルムから追放されたことを受け、スターリンに対抗する社会主義国を建築する独自路線を歩み出した。連邦は6共和国(セルビア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ)と2自治州(セルビア共和国に所属するヴォイヴォディナとコソボ)から構成されていた。経済システムはユーゴ連邦独自の「自主管理経済」システムだ。労働者が会社を経営し、労働者から責任者を選び、管理運営を実施するシステムでソ連東欧共産諸国の計画経済システムとは異なっていた。一部の学者は「市場社会主義」と呼んでいた。

 外交面では「非同盟外交」を宣言し、アジアやアフリカなどから多数の国が参加した非同盟諸国会議をまとめて結束させた。チトーのユーゴ連邦は当時、インドやエジプトと共に非同盟運動の中心的な立場を享受していた。しかし、ソ連が崩壊し、共和国が次々と独立宣言した影響もあって、チトーの死後(1980年5月)、共和国指導者による集団主導体制を敷いてきた。旧ユーゴ連邦で最北部のスロべニアとクロアチアが1991年、その後、ボスニア、マケドニアの共和国が連邦から独立。連邦の盟主・セルビアは連邦維持のために多民族共和国のボスニアで武力攻撃を展開した。セルビアとモンテネグロは連邦を維持したが、2006年にモンテネグロが独立したことを受け、1943年に建国されたユーゴ連邦は完全に解体した。

 スターリンとチトーはライバルだったが、その両者が主導したソ連とユーゴ連邦は奇しくもほぼ同時期に解体し、世界地図から姿を消していったわけだ。ちなみに、連邦時代の「ソビエト人」や「ユーゴスラビア人」といったの名称の人種は存在しない。民族のルーツとは繋がりのない人工的名称だった。

 旧ユーゴ連邦の最大共和国セルビアのミロセビッチ大統領は連邦から独立宣言したスロベニアやクロアチアに対し、武力攻勢を実施し、何とか連邦解体を回避しようとしたが、欧米諸国の支援を受けたスロベニアやクロアチアの独立を防ぐことは出来なかった。民族のるつぼといわれ、数多くの民族が共存してきたバルカンではミロセビッチやクロアチアのトゥジマン大統領といった民族主義的傾向の強い政治家が出てきた。その後、バルカンではボスニア紛争、コソボ戦争といった民族紛争が勃発していったわけだ。

 連邦解体時に戻る。旧ユーゴ連邦時代、特に1960年から70年にかけ、チトーが主導するユーゴの国民経済は繁栄し、外交でもチトー主義と呼ばれ、欧米諸国にも接近し、国際政治の舞台では一定の影響力を誇っていた。例えば、連邦離脱、独立宣言をしたスロベニア共和国は欧州諸国との経済関係を深め、ユーゴ連邦の最優秀共和国とみられていた。

 そのスロべニアのミラン・クーチャン共和国幹部会議長(大統領)は1991年1月、当方との会見の中で、「バルカンで台頭してきた民族主義は、欧州統合プロセスと真っ向から対立する問題であり、統合プロセスを破壊しかねない危険性すら内包している。民族主義問題を解決できる唯一の道は、政治、経済、軍事的に他国を支配する民族主義的国家形態から決別し、欧州統合のように、多民族国家連合を拡大する以外に方法はない」と強調していた。スロベニアは現在、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だ(「スロベニア産ワインと独立30年」2021年7月3日参考)。

 チトーが主導する旧ユーゴ連邦は最終的には共産主義独裁政治の変形に過ぎなかったことは、チトーの最側近であったミロヴァン・ジラスが証言している。ジラスはチトーとともにユーゴ共産化のために戦い、副首相の地位に就きながら、共産主義の実態を批判し、共産主義からいち早く決別した人物だ。ジラスは1950年代に出版した著書「新しい階級」の中で「共産党は赤い貴族だ」と喝破し、共産政権下で特権をむさぼる共産主義者(赤い貴族)の実態を告発した。同著書は欧米諸国で話題を呼び、旧ソ連・東欧諸国の民主改革にも大きな影響を与えた。

 当方は1986年12月、ベオグラードでジラスと会見した。ジラスは「共産主義は本来、世界運動として明確な世界観、歴史観をもっていたが、今日の共産主義は民族主義に陥っている。ポーランド、チェコ、ハンガリー、中国、いずれの共産国も、固有の困難と課題を抱えている。共通する点は、共産党の一党独裁と官僚主義だ。ユーゴ共産党は階級のない社会をつくる段階で民族問題も同時に解決できるという幻想にとらわれていた。しかし現実には民族問題は未解決のまま残っているし、共産主義者は政権の座につくと、新しい支配階級に変身していった」と述べた(「『赤い貴族』とスカーフの思い出」2015年2月9日参考)。

 旧ユーゴ連邦はソ連共産党政権とは経済システムこそ異なっていたが、共産党一党独裁政治であり、その政権下で腐敗と汚職が蔓延していた。人権と自由を求める国民の声が高まっていく中で、ソ連は倒れ、ユーゴ連邦も民族主義の高まりに抗することは出来ずに解体していった。「共産主義は民族の壁を越えた国際主義だ」と言いふらしてきたが、ソ連・ユーゴ連邦の解体は共産主義が独裁政治であり、民族の壁を超えることができない政治形態であることを実証したわけだ。

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