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ドイツ枢機卿辞任劇の「事件の核心」

 ドイツのローマ・カトリック教会ミュンヘン・フライジング大司教区のラインハルト・マルクス枢機卿は先月21日、フランシスコ教皇宛てに大司教辞任申し出の書簡を送った。それに対し、フランシスコ教皇は今月10日、同枢機卿の辞任申し出を拒否し、「聖職の継続」を要請したことでドイツ教会を震撼させた「マルクス枢機卿辞任申し出」劇は幕を閉じた。だが、同枢機卿の辞任申し出の意図について、さまざま憶測が流れている。

ラインハルト・マルクス枢機卿(バチカンニュース2021年6月10日から)

ラインハルト・マルクス枢機卿(バチカンニュース2021年6月10日から)

 マルクス枢機卿(67)はフランシスコ教皇の信頼を得ている枢機卿顧問会議の1人だ。2012年から20年2月まで、独司教会議議長を務めてきた。その枢機卿が突然、辞任を申し出たのだ。理由は同枢機卿が2007年11月から担当してきたミュンヘン・フライジング大司教区で過去発生した聖職者による未成年者への性的虐待事件に対して「指導者としてその責任を取りたい」というものだった。

 誤解を避けるために説明すると、辞任申し出は、枢機卿自身が未成年者に性的虐待事件を犯したとか、大司教区内の聖職者の未成年者への性犯罪を隠蔽してきたことが明らかになった、からではない。マルクス枢機卿によれば、「大司教区の指導者として責任を取る」というもので、責任者の一種のけじめのつけ方だ。バチカン放送は6月4日、マルクス枢機卿の辞任申し出の書簡を公表したが、そこで枢機卿は、「新しい教会の未来を築くために過去の責任を取るつもりだ」と述べて、書簡を閉じている。

 フランシスコ教皇は聖職者の性犯罪対策として、性犯罪を犯した聖職者は聖職を失う一方、その聖職者の犯罪を隠した教会指導者にも罪が問われると主張し、教会側の責任を一層明確にしてきた。繰り返すが、マルクス枢機卿の辞任申し出は、大司教区で聖職者の性犯罪を隠蔽してきたという犯行告白ではなく、性犯罪を犯した聖職者が所属していた大司教区の指導者としての責任を明確にしたものだ。その意味で、性犯罪に対する教会側の厳しい姿勢を自ら示したと言うべきかもしれない。それ故に、独教会内でもマルクス枢機卿の辞任申し出の書簡が報じられると、「枢機卿の辞任は悲しいが、その姿勢は評価できる」という声が支配的だった。

 ところで、フランシスコ教皇はマルクス枢機卿の引責辞任申請を即拒否し、「今後も聖職を継続するように」と伝えた。マルクス枢機卿の辞任申し出を受け入れた場合、次はフランシスコ教皇の責任問題が飛び出す危険性が出てくる。ローマ教皇は世界のカトリック教会の総責任者だ。世界に数万人以上の聖職者が過去、未成年者への性的虐待を犯してきた。マルクス枢機卿のけじめのつけ方に倣えば、その総責任者のフランシスコ教皇こそ率先して辞任しなければならなくなるからだ。

 フランシスコ教皇は自己保全のためというより、世界のローマ・カトリック教会の土台を守るためにマルクス枢機卿の辞任申し出を受け入れることはできない。マルクス枢機卿のような指導者の責任の取り方が広がれば、世界の枢機卿、大司教ら高位聖職者がいなくなる事態が十分考えられるからだ。

 フランシスコ教皇がマルクス枢機卿の辞任申し出を拒否したというニュースが流れると、聖職者による性犯罪犠牲者たちから「フランシスコ教皇は犠牲者の苦悩を無視して、側近の枢機卿を守ることを優先した」といった教皇批判の声が聞かれたのも頷ける。

 興味深い点は、マルクス枢機卿が責任を感じた「過去の問題」とは、具体的にはミュンヘン・フライジング大司教区での聖職者の不祥事だが、ベネディクト16世もラッツィンガー時代、1977年に同大司教区の大司教に任命され、81年末までその聖職を務めていることだ。ちなみに、同16世は2013年2月末、突然生前退位を表明した。その理由は「ローマ教皇としてその職務を実行する体力がなくなったから」と言われてきた。719年ぶりの教皇の生前退位だった。

 マルクス枢機卿は、同大司教区での聖職者の性犯罪について調査を依頼しているが、その結果はこれまで公表されなかった、「報告書にベネディクト16世に任命される前のラッツィンガー枢機卿の名前が記述されていたからではないか」という憶測が流れた。マルクス枢機卿はその後、大司教区の過去の聖職者の不祥事について改めて調査を依頼したという。その調査報告が明らかになる前、マルクス枢機卿は責任を取って辞任を申し出たわけだ。

 マスクス枢機卿は大司教の辞任を申し出、ベネディクト16世は突然生前退位を表明した。すなわち、両指導者は何かを隠しているのではないか、といった推測が生まれてくるのだ。換言すれば、マルクス枢機卿の辞任申し出とベネディクト16世の生前退位には密接な関係が浮かび上がってくるのだ。①聖職者の性犯罪、②同じ大司教区、そして③辞任だ。ちなみに、マルクス枢機卿は2010年11月、ベネディクト16世から枢機卿に任命されている。

 ベネディクト16世が生前退位した理由は「健康問題」ではなかったはずだ。名誉教皇ベネディクト16世は生前退位後、バチカンで既に8年あまり大きな健康問題もなく過ごしてきた。生前退位を決意しなければならないほど当時深刻な健康問題があったのではなく、ドイツ人のベネディクト16世には生前退位以外の選択肢がないような問題と対峙していたからではないか。

 「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」(Domspatzen)で過去、多数の未成年者が聖職者によって性的虐待を受けたことが公表された時、ドイツ教会関係者はショックを受けた。世界最古の少年合唱団として有名な同聖歌隊内で1953年から1992年までの間、性的暴力、虐待事件が発生し、総数は422件に及ぶという。ベネディクト16世の実兄、ゲオルグ・ラッツィンガー神父(Georg Ratzinger)は1964年から94年の間、レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊の団長だった。同神父は昨年7月1日、亡くなった。96歳だった(「独教会の『少年聖歌隊』内の性的虐待」2016年10月16日参考)(「神に献身した『ラッツィンガ―兄弟』」2020年7月4日参考)。

 ベネディクト16世は兄から同少年聖歌隊での性犯罪問題に関連した何らかの告白を受けたはずだ。同16世はその後、苦しんだ。そしてペテロの後継者の地位、ローマ教皇を生前退位することを神に申し出、「神は生前退位を受け入れてくれた」というわけだ。ペテロの後継者の立場にあったベネディクト16世は実兄から具体的に何を聞いたのだろうか。

 マルクス枢機卿は、「大司教区の指導者として責任を取って辞任」を申請したが、同枢機卿は過去の聖職者の不祥事について具体的なことはこれまで何も語っていない。枢機卿が口を閉じて守ろうとしているのは何であろうか。

 以上、ベネディクト16世とマルクス枢機卿が交差する「点」と「点」を繋ぎ合わせていくと、ベネディクト16世は兄を守るために、マルクス枢機卿はベネディクト16世の名誉を守るために、事実を隠蔽しているのではないか、という疑いが出てくるのだ。その責任を取って前者は神に生前退位を申し出、神がそれを受理し、マルクス枢機卿の場合、フランシスコ教皇がその辞任申し出を拒否した、というのが“事件の核心”ではないか。

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