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「教皇暗殺未遂事件」から40年

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)がバチカンのサン・ピエトロ広場でトルコ人、メフメト・アリ・アジャに銃撃された事件から今月13日で40年が過ぎた。同2世は当時、回復し、教皇職を2005年まで務め、同年4月に亡くなった。そして14年4月、第2バチカン公会議の提唱者、ヨハネ23世(1958~63年)と共に列聖された。

ヨハネ・パウロ2世(2004年6月、米ホワイトハウスで自由勲章授与式で)

ヨハネ・パウロ2世(2004年6月、米ホワイトハウスで自由勲章授与式で)

 同2世は当時、自身がアジャの銃撃を生き延びたのはファティマの聖母マリアの加護があったからだとして、ポルトガルの聖地ファティマを巡礼訪問している。そして、バチカンからは、「ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂はファティマの第3予言の中に示唆されていた」という情報が流れてきた。

 ファティマの聖母マリアの予言とは、1917年5月13日、聖母マリアがファティマの3人の羊飼いの子供たちに現れ、3つの予言を託した。特に第3の予言は世界の終末を予言していたという。ヨハネ・パウロ2世は1981年5月13日、すなわちファティマで聖母マリアが現れた同じ日にアジャの銃撃を受けたのだ。同2世が自身の暗殺未遂事件とファティマの聖母マリアとの間に不思議な繋がりを感じたとしてもおかしくはないわけだ。

 ヨハネ・パウロ2世の意向を受け、新ミレニアムの西暦2000年、当時教理省長官であったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(前法王べネディクト16世)が「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺(1981年)を予言していた」と発表し、「ファティマの第3予言」問題に終止符を打ったのだ。

 3人の子供たちから聞いたファティマの予言内容は現地の司教がまとめ、バチカン法王庁に送られている。そして同書簡を読んだローマ教皇はいずれも驚き、直ぐ封印して保管するように命令した。そしてパウロ6世(1963~78年)、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世、フランシスコ教皇は過去、在位中にファティマを訪ねている。歴代のローマ教皇がファティマの巡礼に拘るのには理由があるからだ。

 聖母マリアは3人の子供の中の1人、ルチア(1907~2005年)に対し「第3の予言は1960年までは絶対に公表してならない」と釘を刺している。なぜ1960年まで封印しなければならなかったのか。また、ルチアは親戚関係者に、「心配しないでください。第3の予言は良き知らせですから」と述べている。キリスト教会で言う「良き知らせ」とはイエスの再臨のことを意味する。また、ヤチンタは病床で、「隠れたイエスに会えずに死ななければならない」と嘆いたという。「隠れたイエス」とは誰か。いずれにしても、聖母マリアから直接聞いた羊飼いのルチアやヤチンタの証言によれば、第3の予言はローマ教皇の暗殺を予言した内容ではなかったのだ。少なくとも、教皇暗殺予言は第3予言の前半部分で、後半は良き知らせであったのではないか。

 バチカンは偽再臨主の登場を恐れていた。再臨主が降臨するとバチカンが発表すれば、世界のキリスト教会は大衝撃を受けるとともに、多くの偽再臨主が世界各地で出現することは避けられなくなる。その意味で、バチカンが「第3の予言」の公表を避けたのは、バチカンの危機管理といえるかもしれない。

 最後に、「ヨハネ・パウロ2世は自身への暗殺未遂事件と第3の予言をなぜリンクして受け取ったのか」だ。興味深い証言がある。同2世を一番知っていたポーランドのローマ・カトリック教会クラクフ大司教のスタニスラフ・ジヴィシ枢機卿は同2世との思い出を綴った著書『カロルとの日々』の中で、「ヨハネ・パウロ2世は最初、自分の暗殺未遂事件をファティマの第3予言と関連して受け取っていなかった」と述べていることだ(「ファティマ第3予言、暗殺でない」2007年1月25日参考)。

 それでは同2世はその後、自身の考えを変えたのだろうか。ポーランド出身の同2世は教皇に選出された後、スーパー・スターとして世界各地を訪問し、「空飛ぶ教皇」と呼ばれ、多くの支持者を得た。暗殺未遂事件後、冷戦時代の崩壊を導いた教皇としてその名声を得てきた。

 ひょっとしたら、同2世はイエスの再臨を準備する洗礼ヨハネのような立場だったのではないか、神の祝福を受け、世界のキリスト教会を来るべき再臨主の前に準備しなければならなかったが、病にかかり、その使命を果たすことができなくなり、最終的にはパーキンソン症候群に悩まされ、亡くなった。洗礼ヨハネが意味のないことで牢獄で首を切られたように、ヨハネ・パウロ2世は晩年、自身の使命を果たすことができず亡くなったわけだ。

 ヨハネ・パウロ2世は2014年、列聖された。バチカンはなぜ同2世の列聖を急いだのか。このコラム欄でも書いたが、同2世の27年間の教皇時代に世界のカトリック教会で聖職者の未成年者への性的虐待事件が最も多く発生している。同2世を称えるポーランド教会でも聖職者の性犯罪が次々と暴露されてきた。このままいけば、ポーランド出身のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世の名声は地に落ち、列聖が難しくなる恐れが出てきた。そこでバチカンは異例の急テンポで同2世を列聖した、というのがバチカンの裏事情だったはずだ(「バチカンが防戦する『不都合な事実』」2020年11月22日参考)。

 ちなみに、ヨハネ・パウロ2世の後継者、ベネディクト16世(2005年4月~13年2月)は2013年2月、突然、生前退位を表明した。同16世は後日、「教皇の職務を遂行する体力がなくなった」と退位の理由を説明したが、同16世はその後も8年間、名誉教皇としてバチカン内に住んでいる。同16世の719年ぶりの教皇生前退位は自身の健康問題というより、別の理由があったのではないか、といった憶測を一層駆り立たせるのだ。

 ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件から40年が過ぎる。イエスの再臨を恐れてきた「この世の神」は、ファティマの「第3の予言」内容をヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件であったと受け取らせることで、「イエス再臨の時」の知らせを封印させたのではないか。

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