«
»

戦争と民族の悲劇が凝縮された〝親日国〟ポーランド

日ポが急接近するきっかけは日露戦争

 5月下旬の9日間、2年ぶり4度目となるポーランド共和国に滞在した。この時期は日の出が早くなり、夜は8時過ぎても明るく、寒くも暑くもなく〝旅行日和〟と言える。しかも今年はポーランド独立回復100年の記念すべき年であり、来年は日本とポーランドの国交樹立100年を迎える。

 さて、日本では南京、慰安婦問題などの「歴史戦」により、先人たちが〝残虐非道〟との烙印が推されかねない中、私は台湾、ブータン王国、トルコ共和国、パラオ共和国、ミクロネシア連邦などの有形無形の史実から、過去の日本と日本人の実像を俯瞰して知る、感じることは我々現代人にとって有益なことではないかと考えてきた。

 その視点を持ち、長年にわたり世界を取材してきた中で、日本への恩義や尊敬の念を強く抱き、第2次世界大戦で敵対する関係になった後も、友情に裏打ちされた信頼関係を大切にし、ソ連の影響下に置かれた戦後も、日本国、日本人への恩をずっと忘れずに人生の〝宝物〟としてくれた国、民族が存在することを知った。
それが、ポーランドである。

市民の熱意で戦後、見事に復元させたワルシャワ歴史地区

市民の熱意で戦後、見事に復元させたワルシャワ歴史地区

 中欧に位置するポーランド共和国は人口3800万人強、国民の約97%がポーランド人(西スラブ族)で公用語はポーランド語(スラブ語派)である。地理、民族、宗教(約88%がカトリック信者)において、日本と〝お隣さん〟と言うには当たらないが、私自身が世界40カ国以上を取材した中で、〝親日国〟〝知日国〟の隠れ世界ナンバーワンとの結論に達している。

 両民族が急接近するきっかけは、日露戦争(1904~1905)である。「日本の勝利は、ポーランドが独立する千載一遇のチャンスになる」と考えたポーランド独立運動家たちが、日本政府ヘの接触を試みた。

 当時、ポーランド人は〝亡国の民族〟だった。帝政ロシアとプロイセン(ドイツ)、オーストリアに3分割されたことで、ポーランドという国名は1795年以来、世界地図から姿を消していた。しかしながら、ポーランド志士(愛国者)たちは不屈の精神で国の再起を目指しており、政治犯として極東シベリアへ流刑にされる者も多かったが、独立に向けた地下活動を行っていた。

 しかも、日露戦争ではポーランド志士にとっての敵、「ロシア軍の兵士」として半強制的に徴兵されたため、士気が上がるはずもなく、早々に投降して愛媛県松山市の収容所などに送りこまれたポーランド人捕虜は、日本の勝利をまるで自国の勝利のごとく狂喜乱舞したという。

 この時期、日本で捕虜生活を送った数千人のポーランド人の日本の好印象が、ポーランドにおいての親日感情の原点となっている。日本赤十字から派遣された看護師の献身的な働きはもちろんのこと、市民から〝おもてなし〟を受けるなど日本で癒されたのだ。

日本関連の出版ラッシュ

 開国、そして近代化に着手してわずか40年余りの日本が、ポーランド人の宿敵で強大なロシア帝国との戦いに挑み、しかも大勝利という結果はポーランド人に強いインパクトを与え、日本関連書物の出版ラッシュとなった。

 テーマは戦争関連のみならず、経済や社会、日本人論、日本の歴史や文化など多岐にわたり、欧州言語で書かれた作品の翻訳版や日本を訪問したポーランド人を含む作家や学者、有識者による著書や新聞記事など、長短様々な出版物とその翻訳など。一例で、新渡戸稲造の『Bushidō』(原題『武士道』)、徳富蘇峰の弟、徳富蘆花の『Namiko』(原題『不如帰(ほととぎす)』)、岡倉覚三の『Księga herbaty(茶の本)』(原題The Book of Tea)などが紹介された。

 書物の内容からも、ポーランド人が日本を好意的に捉えるのみならず、日本人に対して尊敬の念さえ示していたことが分かる。独立活動の指導者の1人は、日露戦争の最中に訪日し、帰国後に「20世紀もの長きにわたり国家として存続してきたという、その連続性の力は、この民族を統合し団結させた。その結果、日本人においては集団的本能が個人的本能を凌ぐことになった。日本人は個人である以上に社会の成員なのであり、自らの行動においては個人的利益より全体の利益を優先する」との内容を発表している。

 ブシドウ、サムライといった単語は、20世紀初頭からそのままの音でポーランド社会にも広まった。欧州におけるジャポニズムの流行とも相まって、芸術方面でも、日本がキラ星のごとく注目された。そして21世紀の今に至っても、その潮流は途切れていない。日本語や日本の文化芸術への関心が高いのみならず、非漢字圏の中で日本語(読み書き話す)レベルが最も高い〝人材の宝庫〟と言えるのが、ポーランドなのだ。

「日本と日本人」と題した雑誌シリーズの記事などで日本人の国民性にまで言及した、ポーランドでは誰もが知る著名な作家ボレスワフ・プルス氏(1847~1912)

「日本と日本人」と題した雑誌シリーズの記事などで日本人の国民性にまで言及した、ポーランドでは誰もが知る著名な作家ボレスワフ・プルス氏(1847~1912)

戦争とは何か?民族とは何か?時代とは?

 ポーランドには、ショパン博物館(ワルシャワ)、映画界のレジェンド、アンジェイ・ワイダ監督が発起人となり完成させた「日本美術技術博物館マンガ(クラクフ)などの他、ワルシャワ蜂起博物館(ワルシャワ)、旧ワルシャワゲットーの敷地内に2014年4月に開館した、1000年にわたるユダヤの歴史を探索できるユダヤ人博物館(ワルシャワ)、第2次世界大戦博物館(グダニスク)、かつてはレーニン造船所だった連帯博物館(グダニスク)など、「戦争」「共産主義との戦いと民主化への道」、さらに「民族の悲劇と蜂起」を知る大規模な博物館がある。

 博物館の名前にあるヘブライ語のPOLIN(ポーリン)は、ポーランドに最初のユダヤ人が到着したという伝説と関連して、英語で「ポーランド」または「PO(ここに)LIN(いる・休む)」を意味する。 欧州の中でも宗教的に寛容なポーランド人が暮らす地に、西欧で迫害を受けてきたユダヤ人が安住を求め移住していき、第2次世界大戦前には約300万人が暮らしていた。この時代、米国NYの次にユダヤ系住民が多かったのがポーランドだった。

 ポーランドを占領したナチスドイツの隔離政策により、ゲットーができ、その数、約600ヵ所にまで膨らんだ。その多くは、逃げることも隠れることもできないまま、アウシュビッツに象徴される強制収容所に送られ、飢餓やチフス、ガス室送りとなり尊い命を落とした。ホロコーストの被害者はユダヤ人のみならず、ユダヤ人を匿ったりもしたポーランド系住民も含まれる。

 史実とは、どの角度から見るかによって違うものも見えてくる。ポーランドは戦争とは何か? 民族とは何か? 時代とは? など、震える心で感じさせてくれるナンバーワンの国であることは間違いない。

17

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。