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「輸送船の墓場」、バシー海峡に散った同胞たち

【連載】台湾で祀られる日本人先覚者(15)

10万人以上が犠牲に、大多数の遺体は海底に置き去りに

「輸送船の墓場」、バシー海峡に散った同胞たち

台湾・鵝鑾鼻岬の地図

 第2次世界大戦末期、台湾最南端の鵝鑾鼻(がらんび)岬とフィリピン最北端のバタン諸島の間にあるバシー海峡で、夥(おびただ)しい数の同胞が命を落としたという事実を、どれだけの日本人が知っているのだろうか。当時、戦況悪化の一途を辿(たど)っていた日本は、形勢を挽回(ばんかい)すべく、フィリピンの戦いに、あらゆる戦力を集中させようとした。そのため、バシー海峡は日本にとって、兵員や物資を輸送するための重要な海上航路となった。

 しかし、ここにはアメリカが配備する潜水艦が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していた。南方に向かう航海中の日本の輸送船は次から次へと魚雷攻撃を受け海没していった。

「輸送船の墓場」、バシー海峡に散った同胞たち

バシー海峡(筆者撮影)

 それ故、バシー海峡は「輸送船の墓場」とまで呼ばれていたという。犠牲者数は少なく見積もっても10万人以上、最大で26万人という推計もあるが、未(いま)だ正確な数は不明で、公的記録は残っていない。それこそ東京大空襲、あるいは広島・長崎原爆投下に匹敵するくらいの大きな悲劇であった。

 間もなく、近くの浜辺には毎日のように数え切れないほど多くの遺体が打ち上げられた。その大半が目を覆うほどに損傷していたという。いずれも身元不明の遺体である。これらは地元住民の善意により仮安置、あるいは畑に仮土葬された後、荼毘(だび)に臥(ふ)された。

 だが、それは数で言えば、ほんの僅(わず)かでしかなかった。大多数の遺体は、海の底に置き去りにされたままになってしまった。

中嶋氏が私財を投じて寺と観音像を建立、地元民が守る

「輸送船の墓場」、バシー海峡に散った同胞たち

バシー海峡を見下ろして立つ観音菩薩像と潮音寺(筆者撮影)

 1981年8月、このバシー海峡を見下ろす丘に戦没者を祀(まつ)る潮音寺が造られた。鉄筋コンクリート造2階建て、前庭には高さ約2メートルものブロンズ製の観音菩薩像がバシー海峡を見詰めるように立っている。

 建設計画は、2013年10月に92歳で他界した中嶋秀次という一人の日本人男性によって進められた。戦時中、乗船していたマニラに向かう輸送船「玉津丸」が潜水艦に撃沈され、炎天下のバシー海峡を12日間も漂流した後、陸軍病院での治癒を経て、九死に一生を得たという人物である。

 「玉津丸」には約5000人が乗っていたが、助かったのは10人にも満たなかった。中嶋たちは、救命用の筏(いかだ)に乗り込んで、僅かな食料と水を分け合いながら救助を待った。

 しかし、気力も体力も限界に達した仲間たちが次々と息絶え、千尋の深海に沈んでいった。中嶋は後に「最期に私に『水をくれ』と言いながら死んでいった戦友の顔が忘れられない」と語っている。

 戦後、祖国への帰還が叶(かな)わず、無念のうちに散華した仲間たちへの鎮魂の思いを形にすべく、中嶋は私財を投じ、さらに遺族をはじめ全国から集まったカンパ、「仲間を慰霊する場所を作りたい」という涙の訴えに心を打たれた台湾の人々の浄財と合わせ、潮音寺を建てた。

 ただ、維持するのは、そう簡単なことではなかった。中嶋と契約を交わした地権者が亡くなると、土地や建物の所有権に関するトラブルが起き、存続そのものが危ぶまれたこともあった。そんな時、物心両面で常に中嶋に寄り添って、救いの手を差し伸べてくれたのが地元住民だったという。

 時が経(た)つにつれ老朽化が進み、風害、塩害、さらに空巣被害を受けたりもした。それでも、中嶋の遺志を引き継いだ地元住民によって今でも大切に守られている。

潮音寺で毎年慰霊祭、戦没者たちの無念に思いを馳せる

 2015年以来、この潮音寺で、台湾に住む日本人のボランティアでつくる「バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会」の主催により慰霊祭が開かれている。筆者は3回目となる17年秋の慰霊祭に初めて参加した。

 この時は、日本人の遺族を含め70人近くの参列者がいたように記憶している。読経が流れる中、潮音寺2階本堂の祭壇に向かって焼香し静かに手を合わせ、続いて高台から英霊が眠るバシー海峡を望んだ後、浜辺に移動してエメラルドグリーンの海に向かって白菊を献花した。

 台湾でコンサルタント業を営む実行委員長の渡邊崇之は「戦争で命を落とし、現在の日本の礎となった日本の兵士たち。私たち後世の人間は、そのことに感謝し、頭(こうべ)を垂れ、そして戦没者たちの無念に対して、思いを馳(は)せなければなりません。それが、戦没者たちの霊を慰める唯一の方法だと思います」と語っている。私たちが今、無意識のうちに享受している平和と繁栄は、多くの先人の尊い犠牲の上に築かれているのである。

 実行委員会は「銘心鏤骨」という言葉をスローガンに掲げている。「めいしんるこつ」と読む。「銘心」は「心に刻み込むこと」、「鏤骨」は「骨に刻み込むこと」、すなわち「遠く離れた台湾の地で戦死した人々の存在を永遠に忘れることなく心体に刻み込まなければならない」という意味が込められている。

 昨年の慰霊祭は新型コロナウイルス禍による日台間の渡航制限で、参列者は台湾在住者のみに限定され、その代わり、実行委員会の公式フェイスブックページにて慰霊祭の様子がライブ配信された。今年も例年通り11月頃の開催を予定している。

(終わり)

 拓殖大学海外事情研究所教授 丹羽文生

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