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台湾に骨を埋めた唯一の総督 明石 元二郎

【連載】台湾で祀られる日本人先覚者(3)

工業化促進など数々の治績 遺言で「護国の鬼となり台民鎮護」

台湾に骨を埋めた唯一の総督 明石 元二郎

台北市林森公園

世界スパイ史に足跡

 台北市内を南北に延びる中山区の林森北路といえば、台湾に来たことのある人であれば、すぐに思い当たるだろう。ここは、日本が台湾を統治していた頃、大正町と呼ばれ、台湾総督府に勤務する行政官を中心に、たくさんの日本人が住む高級住宅地だった。

 林森北路から横切る道路は、一條通から十條通まで日本風の名前が今日でも通称として使われている。戦後は、台湾に駐在する日本人の歓楽エリアとなり、昔に比べると店舗数は激減したものの、今でも少し路地に入れば、ピンク色のネオンが降り注ぎ、日本人向けのクラブ、スナック、バーが立ち並ぶ。

台湾に骨を埋めた唯一の総督 明石 元二郎

第7代台湾総督・明石元二郎(杉山康憲『台湾歴代総督の治績』帝国地方行政学会、1922年より)

 その林森北路沿いにある林森公園の一角に、大小二つの鳥居が立っている。夜になるとライトアップされ、実に幻想的な雰囲気を醸し出し、詩情豊かな郷愁を誘う。大きい鳥居は第7代台湾総督の明石元二郎、小さい鳥居は明石に秘書役として仕えた鎌田正威の墓前に建てられたものである。

 明石といえば世界のスパイ史上に不滅の足跡を残した人物として有名である。日清戦争において陸軍の近衛師団参謀として従軍し、その後、フランス、ロシアに派遣され、日露戦争では情報将校となって、ドイツ語、フランス語、ロシア語、英語を操りながら、ヨーロッパにおいてロシアの攪乱(かくらん)工作に当たった。

 明石が総督として台湾に赴任したのは1918年6月のことだった。彼の治世は1年4カ月足らずであったが、数々の成果を挙げている。明石は「内地と同等の領土を建設する」ことをモットーに、台湾電力を設立し、台湾最大の湖である日月潭に10万キロワットの発電量を誇る大きな水力発電所を建設して工業化促進に努め、さらに台湾教育令の発布、森林保護の促進、道路や鉄道の拡充、司法制度改革では従来の二審制から三審制に移行させた。

墓石の前に鳥居建立

 この間、明石は台湾全土を隈(くま)なく回り、睡眠時間を削って政務に励んだ。だが、19年7月、過労が原因で肺炎を患い、一時、快方に向かうも、出張で日本へ戻る途中、船中で再発し、そのまま郷里の福岡県へ。しばらく療養に努めるも、10月、55歳で泉下に没した。

台湾に骨を埋めた唯一の総督 明石 元二郎

台北市の林森公園の一角に立つ鳥居、左が明石元二郎、右が秘書・鎌田正威のもの(筆者撮影)

 明石の遺体は「余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」との遺言に従い台湾に戻された。台北新公園にて総督府葬が行われ、沿道に集まった10万人もの人々に見送られながら、日本人専用墓地「三板橋墓地」に埋葬される。その後、墓石の前に鳥居が造られ、「明石神社」と呼ばれるようになった。この場所こそ今の林森公園に当たる。やがて、35年に明石の側近だった鎌田が亡くなると、彼も同じ場所に葬られ、鳥居も建てられた。

 時が流れて45年、第2次世界大戦が終わり、日本人が台湾を去ると、49年、今度は国共内戦で毛沢東率いる共産党に敗北し、中国大陸を追われた蒋介石率いる国民党が台湾にやって来る。この時、多くの中国人が大挙して台湾海峡を越え台湾に移住し、その一部が三板橋墓地一帯に住み始めた。「外省人」と称される人々である。

 官吏や軍人といった一定程度のポストに就いている人間は、日本人が残していった家屋に入れたものの、一般の外省人は風雨を凌(しの)ぐ場さえなかった。そこで彼らは管理人のいない空き地を探してテントを張り、間もなく墓石を土台や敷居に使ってバラック小屋を建てた。この時、明石と鎌田の鳥居も柱に流用されてしまう。やがて水道、電気が引かれ、公衆便所まで造られた。こうして違法建築物の集合地域となったのである。

 当時、この近くにオフィスを構える日系商社に勤めていた知人によると、「昔は近寄り難かった。無計画に造られたため、まるで中は迷路のようだった。湿っぽく、異臭が漂い、蚊や蝿(はえ)が飛び交っていた。墓地の上に住宅を建てたので、昇天できなかった日本人の亡霊が出るとの噂(うわさ)もあった」という。

荒れた墓地跡再開発

 その後、このスラム化した墓地跡の再開発事業が進められ、居住者には立ち退(の)き料を払って退去してもらい、97年、78年ぶりに明石の遺体が掘り起こされた。遺体は火葬され、2000年には新北市(旧台北県)の三芝郷店子村にある「福音山キリスト教墓園」に移り、大理石造りの新しい墓石が建立された。

 残った二つの鳥居は公園整備のため一旦(いったん)、二二八和平公園(旧台北新公園)に移設されるが、10年11月、元の場所に戻された。傍らには黒色の蛇紋石でできた墓碑、中国語と日本語で記された説明板が設置されている。

 筆者が台湾滞在中に利用している定宿が、ここから歩いて数分の所にある。朝の散歩では、決まって、この鳥居を訪れる。筆者にとってはパワースポットといったところか。

 明石の在任期間は極めて短かった。だが、19人の歴代台湾総督の中で、唯一、台湾に骨を埋めただけに、今でも多くの台湾の人々から尊敬を集めている。

 拓殖大学海外事情研究所教授 丹羽文生

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