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「反共愛国」貫いた“ダリットの父”アンベードガルとインド仏教復興運動

 皆様はインドと聞いて何をイメージするでしょうか。「危険な途上国」というイメージや「辛いカレーの国」というイメージもある一方で、「非暴力不服従運動」のマハトマ・ガンディーによって「平和的に独立した」というようなイメージもあるのではないでしょうか。

 日本人の間では理想視されているガンディーやネルーと言った人たち。彼らはインドでも崇敬の対象になっています。しかし、彼らには「もう一つの顔」があったことも、忘れてはなりません。

■「チャンドラ・ボースを知ってるか?」

 私は今年の8月にインド・マハラシュトラ州第2の都市ナグプール県にあるナグプール市インドラ町のインドラ寺で修行し、インド仏教の僧侶として得度させていただきました。インドでは州ごとに言語が違うなど、一つの州が一つの国のような扱いであり、ナグプールは歴史的にも人口的にも「マハラシュトラ州の京都」とも言うべき都市です。

 さて、そのインドラ寺のある僧侶は私にこう言いました。

 「私はガンディーなんか嫌いだ。彼は良い男ではない。しかし、ヒンドゥー教徒は彼を良い男だと言っている」

 インド人仏教徒の間でガンディーの評価は極めて低いものがあります。もっとも、インドでは紙幣にガンディーの肖像画が印刷されているなど、公的にはガンディーは偉人として扱われています。

 私が行った仏教徒の村にある公立小学校では、教室前方の真ん中にガンディーの肖像があり、その左右にヒンドゥー教の学問の神様とネルーの肖像画とがありました。仏教徒の多い村なので一番左端には仏陀の肖像画もありましたが、配置だけを見るとガンディーは神仏よりも上の存在として扱われていることが判ります。

 中国における毛沢東に勝るとも劣らない徹底した個人崇拝ですが、その村の仏教徒からガンディーの名前を聞くことはありませんでした。一方、村の子供からは次の言葉を言われました。

「チャンドラ・ボースを知ってる?」

 スバス・チャンドラ・ボース。インドではガンディーやネルーに並ぶ独立運動の偉人であり、大東亜戦争の際に今のインド国軍の下になるインド国民軍(INA)を日本の支援で作った人物です。しかしながら、ガンディーと対立していたためか、インドでも日本でもガンディーやネルー程には崇敬されていません。

 しかし、インド仏教徒の間ではチャンドラ・ボースはガンディー以上の人気です。その背景には、インド仏教徒の多くがヒンドゥー教において激しい差別に晒されているダリット(不可触民=インドのカースト制度の埒外に置かれたヒンドゥー教社会における被差別民)からの改宗者である、という事情があります。

 昭和15年(西暦1940年、仏暦2583年)7月、第2次世界大戦への対応が二転三転していたガンディーやネルーによってインド国民会議議長の座を追われたチャンドラ・ボースは、イギリスの植民地支配に抵抗するインド国民軍創設のために亡命する直前、ボンベイ(現在マハラシュトラ州の州都)へ行き1人の男と会いました。

 彼の名はビームラーオ・ラームジー・アンベードカル。不可触民解放運動の指導者であり、不可触民階級で初めて海外留学を行うなど、インドを統治していたイギリス政府も不可触民代表として扱っていた大物政治家でした。

■「反共愛国」貫いた労働運動家

 アンベードガルは屠殺や傭兵を生業とするマハールと呼ばれる不可触民カーストの出でした。インドでは肉食、特に牛肉食はタブーですが、マハールは貧困故に屠殺した動物の肉を食べることを余儀なくされていました。

 アンベードカルの父はイギリス軍に傭兵として雇われるなど、不可触民階級の中では比較的豊かでしたが、イギリスがマハールを雇わないことを決めると没落します。しかし、それでも彼は菜食主義を貫き、息子は一般人と同じ学校に通わせるなど、差別に負けませんでした。

 そんな父の下で育ったアンベードカルは成績優秀さを認められ、奨学金を得てアメリカやイギリスに留学します。そしてカースト制度や不可触民差別の撤廃を主張し、また低カーストや不可触民に多い労働者の地位向上も訴えました。

 一貫して労働者や被差別民の味方として活躍し、独立労働党の議長にもなったアンベードカルですが、一方で学生時代から筋金入りの反共主義者でもありました。アンベードカルは「宗教はアヘンである」というカール・マルクスの言葉に激しく反発し、また官僚独裁制を招いているソ連を激しく非難しました。

 当初は同じヒンドゥー教徒として不可触民を一般人と対等に扱うことを求めていたアンベードカルですが、彼の前に立ちはだかったのがガンディーです。ガンディーは不可触民の制度を撤廃し、カーストによる差別の廃止も主張していましたが、一方で人間を上位からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラに4分類する「ヴァルナ制」は擁護し、職業の世襲も維持すべきであるとしました。

 アンベードカルはガンディーに、「もし私が今、ヴァルナ制度の廃止を叫んだらガンディーはどちらの側に立つだろうか」と問いかけると、ガンディーは次のように返信しました。

 「アンベードカル博士は、ヴァルナ制と闘うと言っている。その限りでは私は彼に与するわけにはいかぬ。何故ならヴァルナ制はヒンドゥーイズムと一体のものであり、分かつことのできぬものだからである」

 職業選択の自由とカースト制度の完全な廃絶を求めるアンベードカルの主張は、不可触民を養子に迎えていたガンディーすらも同意しなかったのです。それほどにまでカースト制度が根強いヒンドゥー社会に絶望したアンベードカルは、ヒンドゥー教からの改宗を決意しました。

■共産主義か大乗仏教か――終わらぬ闘い

 大東亜戦争後、インドは独立を果たしアンベードカルはインド共和国の初代法務大臣に就任しました。また制憲会議の起草委員会の委員長にも指名され、『インド共和国憲法』にカースト差別撤廃を盛り込むことにも成功します。

 ところが、労働者や被差別民を支持母体としたアンベードカルと彼の政党「指定カースト連合」(現・共和党)には、思わぬ敵が現れました。インド共産党です。

 ソ連や中国に接近するネルーと対立して下野したアンベードカルは、その次のインド共産党下院選挙で落選の憂き目にあいます。そして、2度と彼がインド下院選挙で当選することは、ありませんでした。

 最大の敗因は、アンベードカルが共産党の影響を受けていたあらゆる左翼政党との選挙協力を拒絶したことです。これにより労働者や被差別民の票が分裂したのです。アンベードカルは共産党の謀略で落選したと総括し、自分への落選運動を展開した共産党員を名指しで非難しています。

 そんなアンベードカルが救いを求めたのが「人間は平等である」と説く仏陀の教え、それも人間どころか「全ての衆生(生き物)を救うべきである」と説く大乗仏教でした。仏教をインドに弘めるとカースト差別もなくなり、インドの社会も政治も変わると考えたのです。

 昭和28年(西暦1953年、仏暦2496年)2月、デリーで開かれたインド・日本仏教文化協会主催のイベントでアンベードカルは次のように発言しました。

 「遅かれ早かれ、今の世代か、次の世代には仏陀かマルクスのどちらかを選ばなくてはならなくなるだろう。アジアは西洋よりもすでに重要性を増しつつあるが、仏教の精神が広まらなければ、アジアにおいても西欧と同じ争いが繰り返されるだろう」

 そして昭和31年(西暦1956年、仏暦2499年)10月14日、アンベードカルはナグプール市で36万人の不可触民と共に、ビルマ仏教の長老を導師として仏教に集団改宗をしました。ナグプールは大乗仏教の祖である龍樹菩薩の故郷であるとも言われている土地です。

 この歴史的な集団改宗の2カ月後、アンベードカルは逝去されました。インド仏教徒はアンベードカルを「聖父アンベードカル菩薩」と呼び、今でも篤く崇敬しています。

 一方、アンベードカルの遺志を受け継ぐ共和党は彼の死後10年もたたぬうちに共産党の内部工作によって分裂してしまいました。現在、インド政府の新自由主義路線による格差拡大への反発もあり、共産党は今なおインドで勢力を伸ばしています。

 インド仏教は日本から来て帰化した佐々井秀嶺上人の尽力もあり、今年も約1万人もの方が仏教に集団改宗するなど、今なお勢力は衰えていません。しかしながら、アンベードカルの遺志を果たすためには、私たち日本人も含めた世界中からの支援が必要な状況です。

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