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正念場のスーダン民主化

バシル氏失脚後、デモ隊と軍が対立

 スーダンで30年間、長期独裁政権を率いてきたバシル前大統領は4月11日、同国軍による軍事クーデターにより失脚した。しかし民政移管をめぐり軍とデモ主導の民主化グループが対立、軍はイスラム法が欠落していると民主勢力を批判するなど混迷の様相を見せている。(カイロ・鈴木眞吉)

即時の民政移管を要求 デモ隊指導者
イスラム法除外を批判 軍事評議会

 スーダンでのクーデターは、パンの値段が3倍に跳ね上がったのを機に、昨年12月から始まった大規模抗議デモが引き金となった。バシル氏失脚後、全権を掌握した軍事評議会議長には4月11日、イブンオウフ国防相が就任。同氏は、現行憲法の停止と軍事評議会の2年間の統治後、次期大統領選を実施するとの方針を発表した。

スーダンのデモ隊

4月21日、ハルツームで軍事評議会に対する抗議活動を続けるスーダンのデモ隊(AFP時事)

 デモ隊は当初、バシル氏の退陣に歓喜したが軍事政権には反発、即時の民政移管を要求した。イブンオウフ議長がバシル氏に近かったことも怒りを買い、同議長はわずか1日務めた後の4月12日、辞任した。

後任に選出されたブルハン・アブドルラフマン大将は13日、テレビ演説し、①バシル前政権の一掃②拘束中のデモ参加者の釈放③汚職と闘う④夜間外出禁止令を即時解除⑤デモ参加者を殺害した者たちを裁く―などを約束、デモ隊の取り締まりをしていた国家情報治安局長の辞任を受け入れ、新局長を任命した。「自分は、前政権の支持者ではない。国の改革に誠実に取り組む」と明言、最大限2年後までに政権を移行することを約束した。

 一方、デモを主導したスーダン専門職組合は当初、事態が順調に進むとみて軍事評議会に代わる文民評議会の陣容を発表する記者会見を4月21日午後に行うと発表し、同会見に諸外国の外交官も招待していた。

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 ところが、デモ隊指導部は同21日、軍部との協議を中止すると発表、双方の対話の雲行きが怪しくなった。軍指導者らが、文民政府への権力の即時移行を拒否したからだ。文民による評議会の陣容発表も行われなかった。

 それでも、デモ隊指導部と軍部は同27日、民間人と軍人から成る合同の統治委員会の新設で合意した。しかしその構成メンバーの配分と選挙の時期をめぐり対立、デモ隊を主導してきた「自由・変革同盟」はついに5月2日、首都ハルツームで「100万人のデモ行進」を実施して民政移管への圧力を強めた。デモ隊は軍本部につながる道路や橋を埋め尽くし、指導部は、行政府や立法府を含めた国民主導による新政治体制案を提出した。

 ところが軍事評議会は7日に突如、法律の源泉にはイスラム法(シャリア)が採用されるべきだとの見解を表明した。デモ隊グループの政治部門によって提出された文書が、イスラム法を除外していることに気付いたからだという。

 軍事評議会はすでに4月28日に、デモ隊がイスラム主義政党を攻撃したとして非難している。イスラム主義政党とは、1990年代後半に、全世界のイスラム化をもくろむイスラム根本主義組織「ムスリム同胞団」の指導者ハッサン・トラビ氏によって創設された「民族イスラム戦線」で、バシル前大統領に権力を賦与する役割を果たした政党。デモ隊は4月27日、「イスラム主義者に席はない」と連呼していた。

 軍とデモ隊側のこれまでの交渉過程を見る限り、対立点は大きく3点。①新評議会の構成②選挙の時期③イスラム法を法体系に入れるか否かだ。

 第1次アラブの春の教訓を生かし、スーダンに民主化を実現させるには、まず武力を持つ軍が、自身の権益のために動くことをやめ、イスラム主義勢力に頼らず、言論と信教の自由と各種の人権を保障し得る世俗政権の成立を見守るという使命を果たすことが求められている。

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