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「命ある限り真実を後世に」 最愛の妻亡くした元消防隊長

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気仙沼市・佐藤さんの「3月11日」

 「おかあさん、あれから10年経(た)ったよ」――。11日朝、宮城県気仙沼市の小泉海岸に、震災語り部の佐藤誠悦(せいえつ)さん(68)の姿があった。東日本大震災の発生時、同市の消防署指揮隊長だった佐藤さんは震災による火災の消火活動を終えた後、最愛の妻・厚子さん(享年58)が行方不明であることを知らされた。

 これまで雨の日も雪の日も、厚子さんが発見された小泉海岸で毎日手を合わせてきた。「あの日」から10年となった日、夫・消防士・語り部として何を思うのか。佐藤さんの一日を追った。(辻本奈緒子、写真も)

気仙沼市

 

 海岸の堤防から数十㍍手前、厚子さんが発見された場所には印を付けてある。「助けてやれなくてごめんな」と毎日語り掛けてきた。人命救助のプロでありながら、妻を救えなかった自責の念は癒えることがない。

 震災時、佐藤さんは非番で自宅にいた。津波襲来の情報を受けて消防署へ向かう前、家族の安否確認をしたが、厚子さんだけは勤務先の高齢者福祉施設が高台だからと連絡しなかった。「人生最悪の判断ミスだった」と今も悔やむ。

 夕方、気仙沼港でタンクから漏れた重油が何らかの原因で出火し、鹿折地区一帯が火の海となった。一晩中鎮火に当たり、やっとのことで引き揚げた矢先に見せられたのは、厚子さんの名前が載った行方不明者リスト。消防の制服を着ている以上、泣く姿は見せられない。避難所で取り乱す家族には「泣くな。多くの人が大変な思いをしている」と言ったが、遺体を見るたびに「妻ではないか」と胸がざわついた。

 6日後、ビニールの袋に包まれた厚子さんと対面すると、消防活動服を脱いで冷たい体に掛けてやり、抱きしめた。「俺も必ず行くから待ってろ」と叫ぶと、長男に「おとうにまで逝かれては困る」とたしなめられ、我に返った。ケアマネジャーだった厚子さんは、車で訪問に出ていて津波に巻き込まれたとみられている。

 11日は、妻への想いと災害救助の手記、そして語り部活動の記録を収めた著書の発売日でもある。無言の帰宅をした妻の隣、ろうそくの明かりの下で泣きながら書いた夫婦の絆の証しだ。

妻が見つかった小泉海岸で花と著書を手向ける佐藤誠悦さん=11日午前8時頃、宮城県気仙沼市本吉町

妻が見つかった小泉海岸で花と著書を手向ける佐藤誠悦さん=11日午前8時頃、宮城県気仙沼市本吉町

 墓前で出版報告をした後、高校時代、新聞配達の拠点だった思い出の書店へ。出版を聞きつけて仙台から来た人が開店時間から待っていて、サイン会が始まった。客足は絶えず、一人で5冊、10冊買っていく人も。約2時間、サインを書き続けた。

 二人が出会ったのは20歳の時。厚子さんを初めて見た瞬間、「俺の奥さんになる人だ」と直感した。「きれいで…、大好きな女房でしたよ」。

 結婚後、厚子さんは24時間いつ呼び出されるか分からない夫を献身的に支えた。働きながら子育てにも手を抜かなかった。二人一緒に定年を迎えるはずだったため、ハワイ旅行の計画を立てていた。

 今は「体験を伝えることが私の任務」と語る佐藤さんだが、厚子さんを亡くして2年間は口を閉ざした。41年間の消防士生活を終え、厚子さんの3回忌を迎えた時、意を決して発見者の消防団員と現場を訪れ初めて発見時の状況を聞いた。「腕を曲げて仰向けで倒れていたそうです。実は自分で捜索に行った時すぐ近くまで来ていたが、発見できなかった。見つけてほしくなかったのだろう」。語り部ツアーを始めてからは講演のため全国各地を巡り、渡米もした。活動回数400回。今年4月にも米国向けのオンライン講演を控える。

妻・厚子さんの満面の笑みを表紙にした著書

妻・厚子さんの満面の笑みを表紙にした著書

 厚子さんの夢だったハワイ旅行にも、遺影を抱いて飛んだ。ダイヤモンドヘッドで記念写真を撮ってくれた観光客は、涙しながらシャッターを切ったという。「何年経っても、気持ちは変わらないね」。気仙沼市の追悼式では、地区代表で献花した。妻の名前が刻まれた銘板のある復興祈念公園に向かう車で、「前は女房とゆっくり話す暇もなかったけど、今は毎日一緒にいるよ」と表情が和らぐ。

 昨年12月、46回目の結婚記念日に綴(つづ)った言葉は「おかあさん、生まれ変わったら、また私と結婚してください」。

 「体験を語り継ぐのが生きている私の使命。『命を使う』と書く通り、命ある限り、真実を後世に伝えていきたい」と涙を拭った。

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