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学術会議と日本共産党 創設時から70年かけ浸透

学術会議と日本共産党(上)

 新会員6人の任命拒否に端を発し、日本学術会議の在り方が問われている。学問の自由を言いながら、実際はそれを制約する同会議の問題は、創設期から続く日本共産党との関係から見てゆく必要がある。(日本学術会議問題取材班)

東京都港区六本木にある日本学術会議の事務局(石井孝秀撮影)

東京都港区六本木にある日本学術会議の事務局(石井孝秀撮影)

 日本学術会議は日本が占領下にあった1949年、連合国軍総司令部(GHQ)の主導でつくられた。日本の軍事的無力化を最優先に進められた“民主化”政策は、学問・科学技術の分野にも及んだ。創設翌年に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を発表している。

 占領初期、GHQと蜜月関係にあった日本共産党は46年1月、科学者の団体「民主主義科学者協会」(民科)を結成。参加者の中には自由主義者もいたが、物理学者の坂田昌一、武谷三男など、戦前のプロレタリア科学研究所、唯物論研究会で活躍したメンバーが中心となっていた。日本共産党は「科学者の人民戦線」との位置付けで民科を指導、新たに誕生した日本学術会議には210人の会員中、30人が選ばれている。

 今回、菅義偉首相が任命を拒否した6人のうちの一人、小沢隆一氏(憲法学)は、民科の法律部会元副理事で、日本共産党の政治理論誌「前衛」にも寄稿している。

 民科の最盛期は1950年前後で114支部を擁し、専門会員1772人、普通会員は8243人に達したが、共産党の路線変更やスターリン批判などによる指導部の混乱で、1956年の第11回大会で、一部部会を残して全国的組織としての機能を停止した。これに替わる組織として日本共産党は65年に日本科学者会議(日科)を設立。代表幹事を務めた憲法学者の長谷川正安や海洋学者の川崎健など多数の学者が会員に選ばれている。

 1971年9月、自民党内閣部会の鯨岡兵輔部会長がまとめた報告書によると、第9期選挙全候補者263人の中で、「左翼系とみなされる者」は100人、さらにそのうち72人は日科による推薦だった。このほか報告書には、「(学術会議の)3分の1が日共党員」という証言もある。

 共産党系の会員による日本学術会議への浸透工作、政治的な利用が進むにつれ、それを危惧する声が、学術会議の内外から出て来る。

 元会員の生駒俊明東京大学名誉教授(電気電子工学専攻)は「当時はイデオロギー闘争が華やかであったこともあり、熱心に選挙運動をして当選する人の思想的背景は 『学者集団』を比例的に代表するものではなく、左翼思想が強く押し出された」(「学術の動向」日本学術協力財団、2006年)と指摘している。

 1983年、会員の選挙制度は学会の推薦制に変わる。中曽根康弘首相(当時)は、「中立的立場を堅持し、あくまで学問中心に科学的に考え、処置することを期待する」と述べたが、そのようにはならなかった。

 その後も改革への要望は外部からも絶えず、平成16(2004)年会員選考を学術会議による推薦に変更した。しかし、日本共産党の元専従党員で、同党国会議員秘書を務めたジャーナリストの篠原常一郎氏は、この推薦制こそ「共産党の思うつぼ」という。共産党系の会員は、自分の後輩の共産党系の学者を推すからだ。

 篠原氏は「日本学術会議の210会員のうち、(共産)党員ないし、支持者を入れれば7割くらいになると思われる」と述べ、「怖いのは時間をかけてやってきたことだ。言うなれば70年かけてこうなった」と指摘する。

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