ワシントン・タイムズ・ジャパン

⑧「石の上の3年」を経て

《日本経営者同友会会長 下地常雄回想録 (第2部)》

 「石の上にも3年」という。それを自分の信条として、3年は頑張ってみようと思った。

セールスマン時代(左側)

セールスマン時代(左側)

 翼ガラスで丁度、3年を経た頃、車のマフラーなどを製造・販売している会社からスカウトされた。その際「とりあえず運転免許を取れ」と言われ、支度金として5万円を渡された。今だと数十万円ほどの金だ。
 
 何を考えたのか、いい気になってその金で遊んでしまった。東京の大学に通っていた同窓生など3人を呼んで、キャバレーでどんちゃん騒ぎ、金は二晩で融けた。
 
 野口英世は悲願とも言うべき米国留学を前に、祝いに駆け付けた友達を誘って芸者を呼び一晩で渡航費を使い果たしてしまったという。
 
 貧乏にして浪費家という英世の行動は、私も同じだ。
 
 英世は己の才能を認める友人をパトロンにして、金を何とか工面し横浜から船に乗った。私には英世のような才能もパトロンもなかった。
 
 このままでは会社には帰れない。仕方なく一緒にキャバレーで遊んだ友人の佐渡山氏の下宿に転がり込み、彼を勝手にパトロンにした。阿佐ヶ谷の下宿先にあったトランジスターや背広などを、彼が授業に出かけている間に質草にして一万円の金を作った。
 
 そして毎日、試験場に通った。当時はぶっつけ本番で、普通免許の試験を受けることができた。
結局、学科で4回、実地で6回落ちた。それでも延べ11回目で受かった。

 顔なじみになった試験官は「会社に出勤するみたいに毎日、ここに来るあんたみたいな人は見たこともない」とあきれ顔だった。

1

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。