ワシントン・タイムズ・ジャパン

⑦集団就職、バイトで稼ぎ遊びで散財

《日本経営者同友会会長 下地常雄回想録 (第2部)》

 集団就職先は東京都の南千住にある翼ガラスという中小企業だった。今も存在する企業だ。ここには宮古島の人が大勢来ていた。私にあてがわれた仕事は、注射器を作るガラス細工の職工だった。

10 代の頃、皇居前で

10 代の頃、皇居前で

 「自分でガラスを焼いて型に入れて、注射器の出っ張り部分をガスで焼いて仕上げるという作業だった。これは簡単にできるものではない、職人の技が必要な仕事だ。
 
 職場にはいぶし銀のような匠がたくさんいた。新米の私などは終業べルが鳴っても、残業しないといけなかった。一日、500個とか600個がノルマだ。入りたての頃はそのノルマを必死でこなし、寮に帰ったらバタンキューと布団に倒れ込む毎日だった。
 
 土日が休みだったが、週末はバイトに明け暮れた。キャバレー帝の駐車場係などをして稼いだ。そうすれば一日、3000円ぐらいにはなった。
 
 掃除夫もしたことがある。朝の8時から翌朝8時まで24時間働いたりもした。これも12時間で1500円だから、丸一日フルだと3000円にはなった。体が許す限り働いたものだ。
 
 給料が手取りで8000円ぐらいだったから、バイトの方がいい金になった。会社からは「お前、休みにどこに行っているのか」とよく言われた。
 
 午後6時から9時までの夜学も、結局長く続かなかった。元来、勉強は好きではなかった。
 それで何をしていたかというと夜学に行く代わりに、アルバイトの金が続く限りダンスホールに行って散財していた。東京にも慣れてきた頃の話だ。遊ぶための金を稼ぐ為に、ひたすら汗を流した。

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