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「人口政策」の重要性明言を

人口減少社会を超えて 第3部・識者インタビュー (1)

元厚生省児童家庭局企画課長 大泉博子さん(上)

 2016年に生まれた子供の数(出生数)は97万6千人余で、1899年に国が統計を取り始めて以来、初めて100万人を割り込み、2053年には日本の人口は1億人を割ると推計される。「少子化対策」は待ったなし、その方策を識者に聞いた。(聞き手=編集委員・片上晴彦)

大泉博子さん

 おおいずみ・ひろこ 1950年、東京生まれ。東京大学教養学部卒後、厚生省入省。児童家庭局企画課長、同社会援護局企画課長など歴任。98年、山口県副知事。2009年に茨城県6区から衆議院議員選挙に出馬し当選。著書に『インドから考えるアジア』(学生社)など。

国会で外国人労働者の受け入れ問題が論議されているが。

 移民政策は日本ではタブーで、これは移民政策ではないと言われているが、6月に骨太方針2018が出た時、私は「いよいよこれで少子化政策から移民政策に舵(かじ)を切ったな」と思った。簡単に言えば、この20余年来の国の少子化政策は失敗したということを自らが表している。

大泉さんは、その20年来の過程をつぶさに見てきた人だが。

 私は自称「元祖少子化課長」で、1994年12月の第1次エンゼルプラン策定に当たった当時、厚生省児童家庭局の福祉課長だった。「1・57ショック」(注・89年、戦後最低の出生率1・57を記録した)の後に、その対策で総理府に各省連絡会議ができたが、誰が言いだしたというわけでもなく、戦前の「産めよ、殖やせよ」の言葉を想起させる「人口政策」という言葉は使えないなということで、人口政策ではなく、「少子化政策」となった。その結果、これに関係する省庁も、厚生省を含め五つの省だけとなり、エンゼルプランは「保育政策」に矮小化されてしまった。

 しかも人材も予算も、当時、大きな政策だった介護保険制度創設の方に圧倒的に多く付けられた。結局、少子化対策というテーマは、官僚の中で「女、子供の仕事」として軽視されたわけで、これらが少子化対策の失敗の原因だ。

初めから方向性が間違っていた。

 人口政策として進めていたら、地方対策などを含め、幅広く人口に関する問題をカバーし、人口増のために多くのことを成すことができたはず。

 一方、90年代は、「男女共同参画」の運動に勢いがあり、94年に男女共同参画推進本部ができ、99年に男女共同参画社会基本法が施行された。「人口政策」の“じ”の字を口に出しただけで、マスコミやリベラル派にぼこぼこにされる、そんな時代でもあった。

 しかし現在、男女共同参画の内容は注目されず、非常に低迷した動きしかない。それに対し若い女性たちはすごく保守化している。人口政策の重要性についてはっきり言うべき時期が来たと思う。今、限られた省庁だけしか関係しない児童政策ではなく、全省庁を巻き込んだ人口政策を取るべきだ。

この急激な人口減少をなぜ予測できなかったか。

 実は、合計特殊出生率は1950年からずっと減ってきていた。ところが国の調査機関(後の国立社会保障・人口問題研究所〈人口研〉)では、そのころ「第3の団塊の波が必ず来る」と主張していた。第1が団塊世代、第2が70、71年の団塊ジュニアの結婚、出産によるもの。そして「次は、団塊ジュニアの子らの結婚による出生増で、90年代には出生数が回復する」とみていて、大いに期待もしていた。これが甘かった。結果的に第3波は来ず、出生数は減り続けた。

 その後も経済が悪く、就職難が若者たちを直撃した。非正規雇用で結婚する余裕もなくなり、親元にいてなかなか自立できない、結婚もしないという若者たちが増えた。こういう社会背景の下に「パラサイト・シングル」という言葉も生まれた。

 一方、当時、社会で活躍していた団塊世代に当たる人たちは、若い頃、日本は人口が多過ぎる、人口密度が高過ぎるという実感を持っていた。それが彼らの頭に残っていて少子化政策を進めることに消極的で、対策を誤らせたという面もある。

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