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急がれる「防災・減災」対策の強化ー専門家と県知事が提言

 日本は今、新型コロナウイルス感染拡大防止に最優先で取り組んでいるが、一方で、いつ大規模な自然災害が起きてもおかしくない災害大国でもある。それ故、緊急事態に備えた防災・減災対策の強化も急がねばならない。そこで、濱口和久拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授が2011年の東日本大震災を経験し指揮した村井嘉浩宮城県知事と教訓を踏まえつつ具体策を語り合った。

歴史に学ぶ震災対策を 村井
遺構活用の教育が必要 濱口

 濱口 来年3月で東日本大震災から10年が経(た)ちますが、あの時、村井知事は宮城県のトップ(指揮官)として、発災時からどのような行動を取られたのですか。

村井嘉浩宮城県知事(左)と対談する濱口和久拓殖大学防災教育研究センター長=宮城県庁(森啓造撮影)

村井嘉浩宮城県知事(左)と対談する濱口和久拓殖大学防災教育研究センター長=宮城県庁(森啓造撮影)

 知事 私は、地震が起こった時は、車に乗っていました。車の窓から外を見ると、ビルや並木が揺れて、あっという間に信号が止まり、目の前の道路が波打っていました。大変なことが起こったと思いました。すぐに県庁に戻って防災服に着替え、自衛隊に災害派遣を要請しました。

 濱口 津波が襲来する映像を見た時の衝撃は。

 知事 1時間ぐらいして津波が襲来する映像を見ました。一瞬、目の前が真っ暗になりましたが、自分は自衛隊出身である。自衛隊に8年間勤務していたこともあって、これはもう天命だと思い頑張ろうと決意しました。

 濱口 今後、南海トラフ地震をはじめとして大規模災害が起きることが想定される中、教訓となるものはありますか。

 知事 東日本大震災での第一番の反省は、経験に学んで、歴史に学んでいなかったということです。

 むらい・よしひろ 昭和35年生まれ。大阪府出身。防衛大学校(理工学専攻)卒。陸上自衛隊東北方面航空隊(ヘリコプターパイロット)。松下政経塾入塾。宮城県議3期。平成17年、宮城県知事に当選し、現在4期。

 はまぐち・かずひさ 昭和43年生まれ。熊本県出身。防衛大学校材料物性工学科卒、日本大学大学院総合社会情報研究科修了。防衛庁陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学特任教授、同大学防災教育研究センター長。

 濱口 具体的にはどういうことですか。

 知事 ちょうど私が生まれた1960年に、地球の裏側のチリで地震が起きた時、宮城県にも津波が襲来し、45名の方がお亡くなりになりました。わが県は、その時の経験をベースに津波対策をしていました。ところが歴史をひもとくと、東日本大震災と同じくらいの津波が過去に何回も襲来している。

村井、濱口

 

 濱口 そうですね。宮城県は869年の貞観地震、1611年の慶長三陸地震、1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震などでも多くの方が津波の襲来により犠牲になっていますね。

 知事 地域の過去の歴史というものをしっかりと分析する。歴史上大きな災害が起きた所はまた大きな災害に襲われる可能性があるということを考えて、対策することが重要ですね。

 濱口 そういう中にあって、今の宮城県において東日本大震災を教訓にソフト面での取り組みを紹介いただけますか。

 知事 当然、東日本大震災後に生まれた子供たちはまったく震災を知らない。そういう子供たちがこれから社会の中心になっていく。被害がどういう状況だったのかを伝承していくことが重要だと思います。津波によって流された防災庁舎、学校を遺構として残し、それを点ではなく線でつないで防災教育に役立ててもらうことを行っています。併せて、県内各地に防災リーダーを育てるための取り組みを県が中心となって行っています。

 濱口 震災の遺構を防災教育に活用するのは確かに重要です。大川小学校も、そのようにされていますか。

 知事 宮城県の教育者や校長になる人には、多くの児童や先生が犠牲になった大川小学校に必ず行って、近くに避難できた裏山があることなどを確認してもらって、研修の場にしてもらいます。

 濱口 自衛官出身だったからこそ、東日本大震災の時の対応、あるいは現在の新型コロナ禍で役立っていることはありますか。

 知事 陸上自衛隊幹部候補生学校で学んだことの一つに、優先順位、適時適切というのがあります。このことを常に頭に入れて、適時適切にやっているかどうか、優先順位はどこにあるのか、どこの組織とどう調整してやっていけばいいのか、一歩先を読む必要がある。その上で完全を期さなければならない。そういったことを常に頭に入れ、学校の演習の時に問題になったことを思い出しながら対応できたことは非常に良かったです。

省庁またぐ調整役必要 村井
病院船を保有し対応を 濱口

 濱口 防衛大の時の教育はどうですか。

村井嘉浩氏

村井嘉浩氏

 知事 防大時代に、土田國保学校長が朝礼の時に言われた話は記憶に残っています。土田学校長が警察庁警務部長だった時、自宅に郵便物に偽装した爆弾が送り付けられ、奥様が亡くなり、四男が重症を負った事件がありました。その報告を聞いた時、土田校長は足が震えたそうです。しかし、指示を与える時に、まず尻の穴をしめ、丹田に力を入れて深呼吸したそうです。自分がうろたえると、部下はそれ以上に動揺する。君たちもいずれそういう場に遭遇するだろうから、そういう時には参考にしてくれと。東日本大震災はリーダーである私にとって、まさにそのような状況でした。全く予測できない事態でした。

 濱口 つまり想定外の連続ですね。

 知事 あちこちで火災は起こるし、何人亡くなったかも分からない。まさに足が震えるような状況でした。自分の家族が元気なのかも分からない。連絡が取れないのだから。土田先生に教えられた通りに、最初に会議をする時、まず尻の穴をしめ、丹田に力を入れて、大きく深呼吸しました。また、震災後は、約1カ月近く県庁で寝泊まりしました。自衛隊で訓練したことが非常に役立ちましたね。

 濱口 震災後、県職員の災害対応力は変わりましたか。

 知事 去年、東日本台風が宮城県を襲い県南の丸森町などでは20名の方がお亡くなりになりました。その数を見ると、東日本大震災、宮城県沖地震に次ぐ戦後3番目に大きな災害でした。通常だとパニックになるような大災害でしたが、県職員が非常に迅速に落ち着いて行動しました。東日本大震災を経験し蓄積したものがありましたので、「今回の災害ならわれわれの力で何とかなる、きちっとできる」と自信を持ってやってくれました。職員のスキルがずっと上がってきたなと感じました。

濱口和久氏

濱口和久氏

 濱口 一方で、災害では公助、行政が何とかやってくれるという意識が住民には強いと思いますが、自助、共助、公助のバランスをどう考えますか。

 知事 やはり重要なのは自助だと思います。何かあった時に「国からお金を下さい、何かしてください」という風潮があります。それだけでは駄目だと思います。やはり自分で命を守る、自分でいざという時の行動を事前に考えておく。それでも、それを超える災害はあるわけですから、そういう時にはある程度、公助は必要ですが、まずは自分で自分の命を守る、自分の生活が成り立つように考えておく、ということが最低限のベースとしてあって、その上で、足りない部分を補っていく。これが重要ではないでしょうか。自助で足りない部分は自分たちで助け合っていく共助、最終的に公助を考えるということでないと、税金がいくらあっても足りません。私はそういう姿勢で臨んでもらいたいと思っています。

 濱口 自治体が実施する防災訓練とかで、警察、消防、消防団が展示訓練をやって、市民や県民が背後で見ていて、それで防災訓練やりました、というのが多い。県民、市民が参加するのでなければ何の訓練にもなりません。変えていく必要があると思いますが。

 知事 宮城県では、かつて例えば山林火災訓練の際に、発煙筒のようなものを焚(た)いて終わりというような訓練はやめさせました。自衛隊に協力してもらい、実際の山火事とはこんなに広がるのが早いのか、恐ろしいのか、ということを参加者が理解できるような訓練に変更しました。

 濱口 県のトップとして、国の防災対策、危機管理対策に対して、何か提言はありますか。

 知事 東日本大震災の時は、阪神・淡路大震災の経験をベースにしていろんなアドバイスがありました。最近の政府の対応を見ると、災害対応力は向上していると思います。例えば、物資の供給では、東日本大震災の時は、皆さんから「何でも言ってくれ」と言われるのが一番困りました。「どこに何を持っていけばいいか指示してくれ」と。しかし、どこで何が欲しいかを把握すること自体に苦労するような状況だったのです。

 濱口 近年の災害では、物資の供給に関してはかなり改善されていますよね。

 知事 最近は、プッシュ型で、これが最低限必要だろうとリストアップされて送られてきます。こちらで必要なものを調べなくていい。それ以外でも、できることなら一定期間、ある程度決められた人が対策本部にずっと入って、リエゾン(連絡・調整)的な役割を果たしてくれると助かります。今でもリエゾン役が入ってきますが、次から次へと入れ替わってしまいます。役所ごと、セクションごとに来ます。取りまとめ役がいて、ワンストップで各役所に流れるような組織体系にしてもらった方がいい。省庁をまたがるような人がいれば助かります。

 濱口 東日本大震災は海岸線からの救援がありました。当時、米軍がトモダチ作戦をやってくれました。病院船についてどう考えますか。

 知事 病院船の活用方法はあると思います。

 濱口 私も病院船はあった方がいいと思います。日本は海岸線が長い国です。病院船を確保して、今後の南海トラフ地震も含めて、災害時に対応できるようなものがあった方がいいと思います。

 知事 難しいのは、東日本大震災級になってしまうと、港が全部使えなくなります。そこをどうするか。

 濱口 病院船は海上にいて、ヘリコプター、上陸艇、ホーバークラフトを使う。しかし、海上自衛隊では、病院船を保有することに否定的な人も多いです。予算面、平時の活用法、人員の問題もあります。しかし、災害が起こってからのコストを考えると、病院船を持つことはコスト的には安いと思います。

 知事 東日本大震災では、避難所が大変でした。病院船に避難所機能も持たせられたらと思います。

 濱口 病院船の中に避難できれば、そこは冷暖房完備ですし、普通に生活できるわけですから。

 知事 体の弱い人、妊婦、小さな子供だけでも入れてもらえるといい。

 濱口 全国知事会が、防災省の設置の提言をしています。知事はどう考えますか。

 知事 一つの考え方と思いますが、役所をつくればいいというものではないと思います。内閣府の中に防災担当というセクションがありますが、防衛省の中にそういうセクションをつくることも一つの方法だと思います。

 濱口 それもあり得る選択の一つだろうと私も思います。現在の内閣府の防災担当のセクションの職員は霞が関の他の省庁や都道府県、市町村からの出向で、2~3年で交代します。何も起こらなければいい、というような発想で仕事をしている職員もいます。しっかりとした防災のプロの職員がいるセクションをつくるべきです。

 知事 要は、一番機能しやすいようなものをつくらないと駄目です。実際何か起こった時に初動で動くのは自衛隊が多いですから。

 濱口 本日はありがとうございました。

 濱口和久の「防災・減災」対談は、今後も随時掲載します。

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