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「同性婚」が問うもの

《 記 者 の 視 点 》

婚姻は生殖か「ふれあい」か

 「同性婚」を認めない婚姻制度の違憲性を初めて問う訴訟の判決が17日、札幌地裁で下される。多くの先進国が同性婚を認める趨勢(すうせい)にあって、日本は今後も一夫一婦制を堅持できるのか、注目の判決だ。

 憲法24条には「両性の合意」という文言があるように、憲法は同性婚を「想定していない」。だから、同性カップルに男女と同じ法的保護を与えないのは違憲でない。これが国の主張だ。一方、憲法は同性婚の禁止を明文化していない上、第14条は「法の下の平等」をうたい、性別による差別を禁じている。だから、同性カップルの関係を「婚姻」と認めないのは「不当な差別」というのが原告の主張だ。

 両者の相反する主張の背景には、結婚の目的についての考え方の違いがある。子供を生み育てるための関係に法的保護を与えるものという国の見解に対し、原告側は「パートナーとの人格的結びつきの安定化」だから、男女に限ることに合理的理由はない、としている。

 この問題を考えるとき、私は平成14年検定の高校教科書「家庭総合」(開隆堂)を開いた時の驚愕(きょうがく)を思い出す。「青年期を生きる」という項目に次のような記述があった。

 「性には、子孫を残すための生殖としての性と、体と心のふれあいを深め合うコミュニケーションとしての性がある」。この部分を目にした時、「この二つは切り離すことができるのか」と疑問に思ったが、これに続く記述はさらに驚きだった。「長い人生の中では、むしろ後者の性が、特定の愛する人とのかかわりのなかで大きな意味をもつ」と、後者に優位性を持たせていたのだ。

 性と生殖を切り離す考え方は、戦後の性風潮を象徴するものと言えるだろう。現在、使われている同社の教科書からはなぜか、前述の記述は消えているが、家庭科の教科書に、この記述が載ったことの意味は決して小さくない。私は約20年前、少子化のさらなる深刻化と性秩序の乱れ、そして同性婚の制度化を求める声の高まりを予感したのだった。

 男女の性関係は、女性の妊娠と子供への責任が伴うから必然的に抑制的になるし、子供の福祉のためには法的保護も必要になる。そこで設けたのが一夫一婦の婚姻制度だ。

 一方、生殖と切り離した「ふれあいの性」は、婚姻の目的を人格的結び付きの安定化にあるとする原告の主張につながるが、ここで見落とされているのは、ふれあいと欲望が表裏となる人間の性の危うさだ。ふれあいの性は、言葉の響きとは裏腹に“欲望の性”に陥りやすい。米国の調査で、男性同性愛者(ゲイ)が経験した相手の数が「100人以上が75%」(竹内久美子著『フレディ・マーキュリーの恋』)に達したのはその証左であろう。

 札幌地裁で、どのような判決が下されたとしても、国または原告による控訴は必定だが、もし同性婚を認めない婚姻制度に対して「違憲」の判断が示されたなら、責任意識やモラルを欠いた欲望の性がふれあいの性として社会で幅を利かせることになるのは間違いない。

 欧米先進国の後を追って、同性婚制度化への道を進むのか。それとは一線を画し、子供の福祉と性倫理を重視する一夫一婦制を守るのか。日本は今、重大な岐路に立っている。

 社会部長 森田 清策

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