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「象牙の塔」の矜持か傲慢か

《 記 者 の 視 点 》

静岡県の川勝平太知事の「学歴差別」発言

 「人間は学問をすると、バカになる」

 昭和44年1月、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた左翼学生と警視庁機動隊の攻防を映し出すテレビを見ながら、明治生まれの祖母が思わず発した言葉だ。このあと、こうも言った。

 「おれは、尋常小学校しか出てないが、やって良いことと悪いことぐらいは知っている」

 今でこそ、若い女性は使わなくなったが、故郷の東北では女性も「おれ」を使っていた。ブラウン管にくぎ付けになっていた筆者は当時、中学生。病弱だった祖父に代わって農家を切り盛りしていた気丈な祖母らしい言動だな、と苦笑しながらも、その言葉に思春期の感性が刺激され、学問が必ずしも人間を思慮深くするとは限らないのではないか、と考えさせられたことを今も鮮明に覚えている。

 何十年も前に聞いた、今は亡き祖母の言葉を思い出したのは、静岡県の川勝平太知事が今月7日の記者会見で、日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否した菅義偉首相を次のように語って悪(あ)しざまに言ったからだ。

 「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見したということではないか。秋田に生まれ、小中高を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんということで(大学に)通われて、学位を取られた。……言い換えると、学問をされた人ではない。単位を取るために大学を出られた。彼の教養はどこで作られたのでしょうか」

 要は、アルバイトしながら大学を出た菅首相に教養がないから、学者6人の任命を拒否したと受け取ったようだが、首相を公の場でこき下ろすとは、川勝知事の教養と品性のレベルはどうなっているのだ、と唸(うな)ってしまった。

 同知事は、英国のオックスフォード大学で博士号を取り、早稲田大学教授や静岡文化芸術大学学長を歴任した、いわば「学者知事」。学問をしたことに矜持(きょうじ)を持つのは良いが、叩(たた)き上げの首相を「学問をしていない」と批判したのでは傲慢(ごうまん)のそしりは免れない。もし祖母が生きていたなら「やっぱり人間は学問すると、バカになる。言って良いことと悪いことさえ分からないのだから」と激怒したことだろう。

 川勝知事は12日にも報道陣に「訂正する必要は全くない」と語っていたのだから、感情に任せて口走ったものではなく確信的な発言だったはず。しかし、16日になって「学歴差別のように取られたのは本当に残念。申し訳なく思う」と述べて、発言を撤回し陳謝に追い込まれた。

 撤回した理由は、任命拒否についての事実認識などに誤りがあったからだというが、果たしてそうか。県には、14日までに1192件の意見が寄せられ、そのうち976件は知事発言を批判する内容だったという。長く象牙の塔に籠(こ)もっているうちに、自らが批判した叩き上げの苦労人の首相の背後に、学歴はなくても地道に暮らすことに誇りを持って生きている大勢の庶民が存在することを忘れてしまっていたのではないか。

 社会部長 森田 清策

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