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教育勅語は100%悪いと信じるバカ達

 改正安倍内閣で文部科学大臣になった柴山昌彦氏が「教育勅語については、アレンジした形で今の道徳などに使える分野は十分にあるという意味では、(教育勅語が)普遍性を持っている部分がみてとれるのでは」と発言したことで、左翼野党や左翼メディアが柴山大臣を批判している。

 柴山大臣は「使える分野は十分にある」と言ったのだから、彼は決して教育勅語がすべて正しいと言っているわけはないし、「アレンジした形で」と言っているのだから、原文のまま使えると言っているのでもない。ところが、教育勅語を褒めたというだけで、左翼政党も朝日新聞や地上波テレビなど左翼系メディアも、柴山大臣の発言がけしからんというのであれば、彼らは「教育勅語の内容はすべて間違っており、どの文章をどうアレンジしても使えない」と主張しているのだろう。日本共産党に至っては「またバカが文部科学大臣になった」と柴山氏を非難したのだから、教育勅語はさぞけしからんと思っているのだろう。

 では、教育勅語においてどのような主張がなされていたかを見てみよう。ここで主張された徳は以下の12個だと考えられるので、文字を記し現代文で内容を記しておく。


孝行「子は親に孝養をつくしましょう」
友愛「兄弟・姉妹は仲良くしましょう」
夫婦の和「夫婦はいつも仲むつまじくしましょう」
朋友の信「友達はお互いに信じあって付き合いましょう」
謙遜「自分の言動を慎みましょう」
博愛「勉学に励み職業を身につけましょう」
知能啓発「知識を養い才能を伸ばしましょう」
徳器成就「人格の向上につとめましょう」
公益世務「広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう」
遵法「法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう」
義勇「正しい勇気をもってお国の為に真心を尽くしましょう」


 このように、教育勅語の12個の徳をチェックすると、全てが現代でも通用すると理解できるはずだ。もちろん、憲法上の主権が天皇にあった時代の文章なので、天皇から国民への命令という側面もあり、全文を道徳に使うべきだとは考えない。しかし、戦前においても日本人は、このような徳を目標としていた。その意味において、戦前と戦後の人格教育が完全に断絶している訳ではないし、柴山大臣が言うように「アレンジして」現代に紹介する価値はある。戦前と戦後の道徳教育において、どこが異なり、どこが同じなのか。それを冷静に考えるための最善の資料なのである。

 では、なぜ左翼は教育勅語を100%否定したいのか。それは、戦前の日本国家は100%悪く、戦前の日本人は100%間違っていたという、今ではバカしか信じない「戦前日本論」を言い続けたいのである。なぜなら、バカしか朝日新聞を読まず、バカしか地上波ニュースの主張を信じず、バカしか左翼野党に投票しない事実を彼らは認識しているからだろう。

森口朗著『誰が「道徳」を殺すのか』新潮親書

森口朗著『誰が「道徳」を殺すのか』新潮親書


 現代の道徳と戦前の道徳の何が異なり、何が同じなのか。それを知りたい方は教育勅語の内容はもちろん、GHQや文部省がどう動いたか、なぜ修身科がつぶされたのかといった事まで詳しく書かれている拙著『誰が「道徳」を殺すのか』新潮新著(今年9月20日出版)をご覧ください。

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