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なぜ私は辻元清美が嫌いなのかを考えてみた。

 昨日、「これから学ぶカフェ(山本須賀子主催)」でお話をさせてもらいました。

 山本さんはあの愛国女子の山本みずきさんのお母さんで、この母にしてこの子ありの典型で、日本が大好きで日本の良いところをみんなで学ぼうとされており、いつもは施光恒先生や久野潤先生がお話されている女子率の高い会です。

 私はそこで6月に出版した漫画『博多の恩人聖一国師と博多祇園山笠』についてお話ししたのですが、到底一時間半では足りず、山笠のところまでたどり着く前に時間が来てしまいました。

 でも、「伝える」という行動が大切だといったことが主催者のスタッフの方々の心に響いたらしく、自分たちがなぜこれをボランティアでしているのかが分かったと絶賛されました。

 その言葉で、ふと私たち日本人のDNAの中に「後世に伝える」という資質が入っているんだということが自分でも認識できました。

 このことを感じた瞬間にいろんなことが氷解していったのですが、その中の一つに「なぜ私は辻元清美をはじめとする左巻きが嫌いなのか」ということが分かったのです。

 私たち日本人のご先祖様は縄文時代から豊かな自然に恵まれて、各地に定住生活をしてきました。

 他の文明の人々が農耕が始まってから定住し始めたのとは違って日本人は農耕を始める前から、山や川や海で自然からの恵みを貰って生活を営んできたのです。

 ですから人々が安定した生活をするために必要なものはきちんとした情報の伝達でした。魚の居場所、取り方、乱獲を防ぐには、木の実の効率的な取り方、季節、等々です。

 そして重要なのはその資源を安定的に採り続けるためには次のこと、他の人のことを考えて狩猟生活をする必要があります。

 必要以外のものは採らない、これは東日本大震災で被災された人たちがこの姿を見せて日本人のみならず、全世界の人を驚かせました。

 根こそぎとると、次に生えてこなくなります。

 ピラミッドは砂漠の中に立っていますが、以前は緑に囲まれていました。金属を作るために木々を切って燃料にしたりしたにもかかわらず、植林をしなかったために強烈な日差しのためにどんどん砂漠化していったのです。いまのCHINAがそれと同じことになっていますし、日本でも不必要なメガソーラー発電所を作るために広大な森林が伐採され、無機質なソーラーパネルが全国各地に造られています。

 話を元に戻します。

 私たちは一万年以上も昔から営々と生活を日本列島で続けてきました。

 続けられたということは、その情報がきちんと後世に伝わってきたからです。

 それが日本に伝統文化が色濃く残っている証左です。でも、日本人の凄いところは伝統文化をそのままの形ではなく、その時代や技術に合わせて変化させてきたところです。

 だから新しい技術を自分たちの生活に取り入れていくことができ、工業化も進んだのです。発展途上国からの来訪者は口々に日本国内に伝統文化と新技術の見事な融合がなされていることに驚かれます。何が何でも伝統文化を踏襲するのではなく、その時代に応じた変化を受け入れているのです。

 それがなぜ可能であったかを以前真剣に考えました。

 するとその結論は、ご皇室の存在でした。

 ご皇室、つまり天皇陛下が日本の中心座標をお示しになっています。

 世の中の中心が決まっているのですから、人々も安心して自分の位置がわかり、その位置、地位、身分に応じた社会的貢献をしていきます。

 そしてここでもう一つすごいのは物事の尺度がお金ではなく、社会に対する貢献度がその人を尊敬させる尺度になっているのです。

 もちろんお金持ちは尊敬されますが、そのお金をいかに人々のために使っているのかがポイントとなります。だからがめつい金持ちは嫌われるのです。出す出すと言って震災後いつまでたっても100億円出さずに、ソーラーパネルで儲けた金持ちはあまり尊敬されませんね。

 神道の八百万の神々という考え方は、この世のものにはすべて神様が宿ると考えており、それをちょっと裏返せばこの世には不必要なものは一つもないということです。

 こういう素晴らしい考え方を持っているにもかかわらず、一億人以上の人々が未だに生活できるのは海に囲まれた島国だからという理由と、また200キロくらいしか離れていないので、交易をすることも可能だったということです。

 この素晴らしい社会の仕組みは物事の中心点が決まっているという単純なものから始まると思います。つまり権威の根源です。

 誰も権威の根源を疑ったり、アメリカの大統領選挙のように数年に一度考え直さなくていいのです。

 権威が安定してある世の中ってどれだけ住みやすいかは、革命に明け暮れて王朝がころころ変わった半島や大陸の国を見ればすぐにわかるでしょう。

 100年以上続く会社は日本に約3万社存在します。もちろん世界一です。ちなみにお隣は皆無です。

 これが國體(こくたい)なのです。先の大戦に敗れそうになった時、先人たちはこの國體護持をひとえに願って連合国と交渉しました。

 個人の命は必ずなくなります。しかし、国家の命は後につなぐことができるし、私たちにはそれをする使命があります。

 私たちのDNAの中に後世に伝える、繋ぐというものがしっかりと入っているのです。だから伝統技術を何百年にもわたって継承されている職人さんを私たちは無条件に尊敬します。でもそれが世界の当たり前ではありません。

 その伝える、繋ぐということを妨げる人たちを私たちは無意識の中で嫌うのです。

 辻元清美は、ご皇室を嫌いだと以前雑誌で公言しています。「天皇なんて伊勢かなんかに行ってもらってそこで神主かなんかをしたらいい」とまで発言しています。

 普通の感覚を持つ日本人がこれを聞いて不快感を示すのは当然ではないでしょうか。

 つまり私たちの安定した生活・社会の根底から揺るがそうとしているのが辻元清美ら左巻きの連中なのです。

 日本では武力による政権交代は何度もありましたが、王朝の交代は一度もありません。

 つまり権力は変われども、権威の所在が2000年以上前から同じところにあるのです。それでも普通に生活ができる時はその存在は一般庶民から忘れらていた存在だった時もありました。

 しかし、歴代の天皇陛下は国民のための祭祀をいつも執り行ってこられたのです。

 まるで厚い雲に覆われて見えない満月のようで、そこには常に存在するのですが、雲によって見えなかったり、地球の影により形が変化したりしていても、日本人はその本質を全く変わらないことをDNAに組み込まれたところで認識してきたのだと思います。

 日本文化はいろんなものを受け入れてきました。そして日本に合わないものはいつの間にか排除していきます。中華の官僚制度は受け入れますが、宦官や大家族制度は受け入れませんでした。

 左巻きも戦後GHQの自虐史観と共にいったんは日本の中に入りましたが、そろそろその実態が国民に理解され始め、排除され始めているのではないでしょうか。

 最後に私のFBのお友達、人生の先輩の秀逸な言葉をご紹介します。

 「私はその人たちが滅んでしまうのことを望んでいません。ただ、その人たちの心に中に住む邪悪な心が滅び、本来の姿に戻ってほしいと願っているのです」と。でも、心の片隅で、『本来の姿もあまり変わらないのでは・・・』という思う気持ちもあります。


「井上政典のブログ」より転載
https://ameblo.jp/rekishinavi/

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