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辺野古移設は関係がないのに関心が53・2%という名護市長選の歪み

2月4日投開票の名護市長選を前に、琉球新報社と沖縄タイムス社、共同通信社は28、29の両日、電話世論調査を合同で実施した。市長選で最も関心を持っている争点については「辺野古移設」が53・2%であり、前回の市長選と同様に最も高かった。

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 辺野古移設に関心があるという市民のほとんどは名護市長選が辺野古移設を左右することができると信じているからである。もし、移設反対の稲嶺候補が当選すれば移設を阻止できると思っているのである。だから辺野古移設に関心が高ければ高いほど稲嶺候補に有利である。

 辺野古移設阻止を掲げる翁長雄志知事を「支持する」「どちらかと言えば支持する」を合わせて65%だったのに対して、移設を進める政府の姿勢を「支持する」「どちらかと言えば支持する」は27・9%であることでも「辺野古移設」に関心が高ければ高いほど稲嶺候補に有利であることが分かる。

 稲嶺候補が「辺野古移設」を選挙の争点にしたのは名護市民が「辺野古移設」に関心が高ければ高いほど自分に有利になるのを知っているからである。稲嶺候補を支持している政党の先頭に立っている共産党、沖縄二紙も「辺野古移設」を選挙の争点に掲げている。

 誰が当選しても「辺野古移設」を阻止することは不可能である。そのことは稲嶺候補も、共産党や沖縄二紙も実は知っている。しかし、選挙に当選するためには「辺野古移設」を争点にするしかない。だから、「辺野古移設」を争点にしている。稲嶺候補派の思惑は大成功していると言えよう。

 辺野古移設は昨日のブログに書いたように、すでに政治決着はついているから、名護市長が阻止することはできない。
2006年島袋名護市長が滑走路2本案(V字形案)で政府と合意。
2008年仲井眞知事が埋め立て合意。
2010年菅直人首相が辺野古移設を決定。

この政治的に阻止できないこと以外にも、辺野古飛行場は人口が密集している西海岸の名護市民に被害がないこと、そして、東海岸の名護市民は辺野古移設受け入れを容認していること、普天間飛行場の移設は辺野古しかないことを、2015年に出版した「捻じ曲げられた辺野古の真実」で明らかにした。

第4章 辺野古埋め立ての真実

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辺野古飛行場予定地の辺野古崎は東海岸にある。人口が集中している名護市街地は西海岸にある。辺野古と名護市西海岸は山を挟んでおよそ10キロメートル離れている。普天間飛行場なら浦添市を越え、那覇市の南はずれの国場側河口まで離れていることになる。同じ名護市といっても東海岸の辺野古と東海岸の名護市街地では浦添市・那覇市の二つの市を挟んでいるくらいに遠く離れているのである。

 西海岸は辺野古飛行場から遥かに離れていて影響は全然受けない。辺野古飛行場の地元として名護市西海岸側を入れるのは本当は問題がある。

 東海岸側の辺野古区・豊原区・久志の3区(久辺3区と呼ばれている)は移設を受け入れている。過疎化が進んでいるので人口は少ないが、久志岳、久志岳ゴルフガーデン、キャンプシュワブなどがある久辺3区は面積では西海岸側にひけを取らない大きさである。

 久辺3区が辺野古移設に反対であるなら地元が反対していると言える。しかし、久辺3区は移設を受け入れている。辺野古移設に反対しているのは久辺3区以外の地域の名護市民である。人口が集中している西海岸の名護市民に反対の声は多く、その結果、移設反対の稲嶺進氏が市長に当選した。だから、名護市全体では辺野古移設反対である。東海岸の久辺3区の主張は西海岸の市民に封殺されたと言える。

昔は辺野古のある東海岸は久志村であった。久志村の主な産業は林業から農業へと変わったものの、過疎化により人口は減少した。山を隔てて西海岸の名護町などの町村から合併の動きが出てきた。合併に反対してきた久志村であったがこのままでは村を維持するのは困難であったため、結局1970年8月1日に名護町・屋部村・羽地村・屋我地村と合併し名護市となり、300年近くの歴史に幕を閉じた。久志村役所は名護市久志支所となった。
合併しても経済発展したのは西海岸だけであった。1975年沖縄県の本土復帰記念事業として沖縄県国頭郡本部町で沖縄国際海洋博覧会が開催された。海洋博公園のお蔭で名護市の西海岸経済はどんどん発展していった。しかし、経済発展するのは西海岸だけであり、東海岸の久辺3区は過疎化していった。このままでは過疎化に歯止めがかからない。名護市に頼ることもできない。久辺3区は普天間飛行場の辺野古移設容認を条件に過疎化脱出を図ったのである。
久辺3区は「生活排水処理のための下水道整備」や「公園、集会所の整備」「基地負担に見合った住民への補償的施策」など18項目を政府に要請した。交渉の結果、振興策の実現に向けた協議会を設置することが決まった。

西海岸であるというだけで経済が発展し、東海岸であると言うだけで過疎化していく。それが沖縄本島北部の実態である。東海岸の困難を省みない西海岸の名護市民だから普天間飛行場の辺野古移設に反対をし、久志3区の過疎化に平然としているのである。
同じ名護市でも辺野古飛行場の地元は東海岸の辺野古区である。西海岸は地元ではない。地元ではない西海岸の住民が辺野古移設反対しているのだが、翁長知事・稲嶺市長・革新・沖縄二紙は「地元名護市の反対」に捻じ曲げているのである。

普天間飛行場の移設は辺野古しかない

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大浦湾と辺野古埋め立て予定地である。埋め立て地は辺野古崎の沿岸部だけである。辺野古の海や大浦湾のほとんどは埋めない。沿岸部の埋め立てだけで大浦湾の自然に影響を与えるのはあり得ないことである。

 辺野古飛行場の滑走路はV字型である。離着陸の時に人家の上を飛ばないためにV字型にしたのである。

 辺野古飛行場はキャンプシュワブ内に建設される。現軍用地内に建設するから新たな土地を接収する必要がない。辺野古以外なら新たな土地を接収する必要がある。辺野古以外なら飛行場建設は不可能である。

 周囲は海である。墜落事故があっても普天間飛行場のように人命や人家に被害を及ぼすことはない。

 飛行場に一番近い辺野古区でも1キロメートル離れている。辺野古区と飛行場との間には丘があり、騒音被害も小さい。

このような好条件は本土にもないし沖縄にもない。辺野古沿岸部だけである。宜野湾市民の騒音被害、生命と財産を守るためには辺野古移設しかないのである。辺野古移設は人道問題であって基地問題ではない。

埋立ての土砂は外に出ない

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埋め立て反対派は埋め立てで土砂がどんどん海の中に流し込むイメージを与えている。もし、土砂をどんどん流し込むと土砂が広がって海底の広範囲を埋めてしまう。そうなるとものすごい大量の土砂が必要になる。それにそのような埋め立て方法だと反対派の言う通り大浦湾も辺野古の海も土砂で埋まり死滅するだろう。しかし、そのような海の広範囲を汚染する埋め立ては日本では行われていない。公有水面埋立法で自然環境を破壊する埋め立ては禁じているからだ。
それではどのようにして海を埋め立てるのか。
最初に海底に土台をつくった後、コンクリート製の箱船を埋め立て地の周りに隙間無く並べる。この箱船の名前はケーソンと言う。ケーソンの底の栓を抜くと水が入って沈む。傾かずに沈むように海底の状態を修正する。沈んだケーソンに岩石や解体ビルの破片などを入れて重くする。
土砂も同時に入れる。ケーソンの上に上部コンクリート壁を築く。消波ブロック(テトラポット)は魚巣にもなる。
全部沈むと埋め立て地の外壁ができあがる。海水は最初は吸い上げない。だから外海の水圧の影響は受けない。囲いの中に土砂を流し込む。それに応じて海水を吸い上げ放出する。中に土砂を流し込んで埋め立て地の出来上がり。土砂が外海に出ることはない。浅瀬の場合はケーソンを使わない。

「捻じ曲げられた辺野古の真実」

 普天間飛行場が移設できる場所は辺野古しかない。本土にも辺野古以外の沖縄にもない。理由ははっきりしている。米軍基地をつくるために民間地を接収することは本土でも沖縄でもできないからだ。政府が「辺野古移設が唯一の方法」と言っているのは辺野古以外に移設できる場所がないからである。このことは2012年に出版した「沖縄に内なる民主主義はあるか」の「普天間飛行場の移設は辺野古しかない」にも書いた。
 
自分たちで本土の移設先を探そうとはしないのは怠慢だからではないと思う。沖縄の政治家や団体幹部、知識人たちは「県外移設」ができる場所はないという事実を知っているからだと思う。馬毛島の例があるように本土の住民は米軍基地への拒否反応は強い。もし、「政府が探さないなら自分たちで探す」などと宣言して県外移設場所を探したら、県外移設場所がないことを自分たちで明らかにしてしまい、「県外移設」に自分たちで終止符を打ってしまうことになる。沖縄の政治家や団体幹部、知識人たちはそのことを知っているのだ。
「県外移設」を主張し続けるためには、自分たちで移設場所を探さないことである。だから、沖縄の政治家や団体幹部、知識人は誰ひとりとして「県外移設」場所を自分たちで探すとは言わない。自分たちで探すとは言わないで、政府に「県外移設」を要求するだけの人たちのずるさを感じる。

「沖縄に内なる民主主義はあるか」

 「県外移設」を主張する政党や団体が自分たちで探すと言ったことは現在までまだない。

 1995年(平成7年)の沖縄米兵少女暴行事件を契機に、普天間基地の移設が問題になったが、2004年辺野古沖移設を政府が断念した時から県民に問われていたのは「辺野古移設」か「普天間固定」の二者択一の選択であった。「辺野古移設」か「普天間固定」かを問われれば多くの県民は「辺野古移設」を容認していただろう。自民党県連がそのことに気づいて県民に訴えてきていれば、名護市長選で「辺野古移設」が争点になることはなかった。渡具知候補が有利になっていたのは間違いない。


「沖縄に内なる民主主義はあるか」より転載
http://hijai.ti-da.net/

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