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「朝日新聞死ね」が正しく、「日本死ね」が不当であるこれだけの理由

 先週は日本維新の会の足立康史議員の「朝日新聞死ね」が、世間を賑わせた。これについて、趣旨を批判する人や趣旨に理解を示しつつも言葉使いを批判する人など、世は批判に溢れているが、私は足立氏の発した「朝日新聞死ね」は全く正しく、それに対して昨年の流行語大賞となった「日本死ね」は明らかに間違いであると考えている。以下に、その根拠を示す。

国会で質問する足立康史議員(同氏ホームページ動画より)

国会で質問する足立康史議員(同氏ホームページ動画より)

 第1に、足立氏は朝日新聞による「加計学園」問題の捏造により行政が歪められたと考え、その責任は万死に値すると評価して「朝日新聞死ね」と発言した。「総理のご意向」と書かれた紙は文科省系官僚の内部メモであり、常識的に考えれば上司に対する言い訳として作成されたものであると容易に推測できる。それを、さも安倍総理サイドに不正があったかのごとく印象操作した朝日新聞の記事を「捏造」と断じた足立氏の評価は不当とはいえない。また、朝日新聞の行為に対し朝日新聞が責任を取るべきとしている点でも主張は一貫している。これに対し、平成28年度の流行語大賞になった「保育園落ちた。日本死ね」は完全な言いがかりだ。平成27年度から平成28年度の保育対策関係予算は、7,975億円から9,294億円と、国家財政が厳しい中で異例ともいうべき伸び率であり、国はできる限りの対策を行っていた。また、保育行政は区市町村の行政であるから、子どもを保育園に入園させなかったのは、国ではなく区市町村である。つまり、「日本死ね」は、たまたま保育園に落ちたという不運の鬱憤を吐き出すための言いがかりに過ぎない。

 第2に、生命を持たない法人の「死」の意味を考えると、「朝日新聞死ね」の正当性と「日本死ね」の不当性は、さらに明らかになる。企業の「死」とはすなわち倒産や廃業であり、国家の「死」とは主権を失い、他国に併呑されることである。朝日新聞は「加計問題」だけでなく、これまでも数々の捏造記事を書いて国益を棄損させてきた。この新聞社が倒産や廃業すれば良いと考えている人は全国に何千万人といるはずだ。では、日本国がなくなって、他国の一部になれば良いと考えている人が、どれほどいるだろう。狂信的に中国や北朝鮮シンパを除けはほとんどいるまい。国家の消滅を意味する言葉は、たかが一個人が保育園に落ちたくらいで、軽々しく出して良い言葉ではないのだ。

 最後に、そうは言っても選良たる国会議員たるもの「死ね」という言葉使いは良くないのではないか、という批判について考察しておこう。この点は私も一般論としては同意する。しかし、こと朝日新聞に対して「死ね」を使うことは不当ではない。なぜなら、朝日新聞は自ら「保育園落ちた。日本死ね」を正当化する記事を書いているからである。原則的に汚い言葉を使うべきではないが、それを肯定する者に対し使う場合は、例外として倫理的に許されると考えるべきではないだろうか。これに対し、日本国は、下品な近隣諸国のように、他国に対して「火の海に沈める」とか「数十年後には無くなっている」といったような誹謗中傷や侮蔑は決してしない。それゆえ。日本国に対して「死ね」という言葉を使うことは倫理的にも許すべきではないのである。

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