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富士桜「寂しい」、好敵手・麒麟児の死を悼む

天覧相撲で突っ張りの応酬50発超、「喜んでいただけた」

富士桜「寂しい」、好敵手・麒麟児の死を悼む

元関脇・麒麟児(時事)

富士桜「寂しい」、好敵手・麒麟児の死を悼む

富士桜を押し出す麒麟児(右)=1983年1月23日、東京・蔵前国技館(時事)

 元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に亡くなった。麒麟児といえば、1975年夏場所8日目、昭和天皇の前で富士桜と繰り広げた名勝負が相撲史に残る。元関脇富士桜の中沢栄男さん(73)は13日、「病気だとは聞いていたが、寂しいね」と好敵手の死を悼んだ。

 「伝説の一番」は猛烈な突っ張りの応酬。50発は超え、途中で富士桜の口が切れる。押し相撲同士では考えられない27秒の大相撲。最後は西土俵で麒麟児が肩越しの右上手投げを打ち、両者もつれて土俵下へ落ちた。

 「いい相撲を取ろうって気持ちだった。負けたから悔しいけど、喜んでいただけたし、お客さんも喜んでよかった」と中沢さん。

 大の相撲ファンで、押し相撲がお好みの陛下は、説明役の春日野理事長(元横綱栃錦)に「激しい相撲だね」と声を掛けられたという。

 この2人の対戦は、よく制限時間前に立った。「他の力士は誘っても乗ってこないが、麒麟児は目が血走ってくるから次は立つと分かる。お互い、土俵へ上がる前から気合が入っていた」

 麒麟児の17勝9敗。「向こうが一回り体が大きかったから。だけど負けても気持ちが良かった」という。

 当時は違う一門の力士とは親しくできなかったので、土俵外の付き合いはなかったが、「自分より5歳下。先に逝かれるとね…」としみじみ話した。

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