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米統治下の聖火リレー「復帰を願う島民の声」

64年の第1走者を務めた宮城勇さんが再び沖縄を駆ける

米統治下の聖火リレー「復帰を願う島民の声」

1964年東京五輪の聖火リレーで第1走者を務める宮城勇さん=1964年9月7日(宮城さん提供・時事)

米統治下の聖火リレー「復帰を願う島民の声」

聖火ランナーに選ばれた宮城勇さん。前回大会聖火リレーでは第1走者を務めた=2020年3月19日、沖縄県浦添市(時事)

 1964年東京五輪の聖火リレーは、米国統治下だった沖縄でスタートし、戦火の爪痕が残る本島全域を巡った。全国最初の走者を務めた沖縄国際大名誉教授の宮城勇さん(78)は、当時の大歓声を「本土並みの社会や生活の到来を願う声だった」と振り返る。聖火リレーへの2度目の参加を前に、「57年前とは違い、心穏やかな気持ち。感謝を胸に責任を全うしたい」と話す。

 リレーがスタートした64年9月7日の朝。体育教師を目指す琉球大生だった宮城さんは、那覇市内の中学校で教育実習を終えた後、生徒からの声援を背に開始地点の那覇空港へ向かった。

 待ち受けていたのは、人垣で波のように揺れる日の丸の小旗だった。それをかき分けながら、1・7キロを約10分間、夢中で駆け抜けた。「割れんばかりの拍手と歓声、万歳三唱が続いた。感動、喜び、誇りに緊張が押し寄せ、全身が震えてどうしようもなかった」と鮮明に記憶する。

 沖縄が日本復帰を果たすのは、五輪から8年後の72年。米軍統治下だった64年当時は、「一日も早い復帰」への機運が高まりつつあったが、いつ実現するかははっきりしない時代だった。公共の場での日の丸掲揚は、法定の祝祭日を除き禁止されており、61年までは祝祭日でも許されなかった。リレーは日曜日に開始予定だったが、聖火を運ぶ特別機の到着が台風で遅れ、月曜日にずれ込んだ。だが、開始地点や沿道は日の丸で埋め尽くされ、米軍も黙認したとされる。

 宮城さんはリレーを走った翌年から、体育教員として46年のキャリアを積んだ。日本復帰後、初めてとなる5月の沖縄での聖火リレーを心待ちにする。

 「前回大会で沖縄出身選手は皆無だったが、今回は金メダル候補がいる」。新型コロナウイルスの影響で大会は1年延期されたが、選手のための五輪成功を期待している。

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