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平良啓さん、30年を経て2度目の設計へ

首里城92年再建の技術者、若手に経験の蓄積伝授したい

平良啓さん、30年を経て2度目の設計へ

前回の復元工事中、首里城正殿屋根を赤瓦でふくための打ち合わせをする平良啓さん(中央)=1991年6月、那覇市(本人提供・時事)

 沖縄を象徴してきた首里城は失火や戦災で何度も焼失したが、そのたびに再建されてきた。「悲しむ暇はない。二度と燃えない城にする」。昨年の火災で焼け落ちた正殿の設計に携わり、建設の現場にも立った平良啓さん(66)は、苦労して造り上げた正殿などの焼失に衝撃を受けたが、約30年を経て再び復元に立ち上がった。

 那覇市の設計事務所に勤務する平良さんは、1985年から完成する92年まで、若手技術者として正殿再建に関わった。太平洋戦争の沖縄戦で木造建築の多くが失われたこともあり、琉球建築への技術的ノウハウはほとんどなかった。古写真や絵図などの史料収集から手探りで始めた設計作業に、「命を削るつらさ」も味わった。それでも、仲間や上司と膝を突き合わせて深夜まで議論する日々は楽しく、疲れは感じなかった。

 3年間の設計作業を終えると、工事現場に3年間立った。正殿の守り神とされる龍の飾り物「龍頭棟飾」を屋根の正面に取り付ける際には、目玉の角度の判断を担った。上目遣いか、鋭く見下ろすか。琉球王国の威厳に関わり、図面では表せない微妙な感覚が求められた。

 正殿の輪郭を描く、屋根瓦の骨格部分「隅棟」の独特な反りの角度も判定。工事中の正殿は仮設の覆いの中にあり、同心円でない独特な曲線を遠目に見極めることができなかった。「OKを出すまで相当なプレッシャーだった」と振り返る。

 昨年の火災当日は焼失を信じられず、涙も出なかった。焼け跡を目の当たりにして湧いてきたのは、沖縄の歴史や文化に貢献してきたことへの感謝だった。「30年間、6000万人以上に見学された。これまでご苦労さん」と一礼した。

 気持ちはまだ完全には切り替わらないが、「若手には貴重な機会だ」という思いは強まる。現場で記録した詳細なメモや、自腹で買ったカメラで撮影した写真の数々は、幸い倉庫に置いていた。それらを引っ張り出して検証を進めている。

 前回、設計と工事の現場に立ち、なお現役なのは平良さんのみ。30年来の経験に裏付けられた技術の蓄積を、後輩に伝えたい。自分にしか務まらない役割を果たす。

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