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松尾芭蕉も憧れた日本三景の一つ、宮城県・松島

芭蕉の句とされた「松島や」の作者は狂歌師の田原坊

松尾芭蕉も憧れた日本三景の一つ、宮城県・松島

松島湾内を巡る遊覧船(市原幸彦撮影)

 日本三景の一つ、宮城県・松島(松島町)を訪ねた。松尾芭蕉が『おくのほそ道』(以下、ほそ道)冒頭で「松島の月先心(まづ)にかゝりて」と記していた念願の地だ。新型コロナの影響で一時休止していた遊覧船の運航も既に再開(通常の約3割に減らし、乗客の下船後は1便ごとに消毒)しているが、いまだ客足は少ない。

 芭蕉が到着したのは元禄2(1689)年5月9日(陽暦6月25日)の昼ごろ。快晴だった。芭蕉の松島への憧(あこが)れは強かったが、なぜか「ほそ道」では松島に関する俳句を残さなかった。寝ようにも興奮のあまり眠れず、一句も詠めなかったという。

 「松島や ああ松島や 松島や」が芭蕉の句だと信じている人が意外と多い。実は江戸後期の狂歌師田原坊の作で、感嘆詞の「ああ」はもともと「さて」だった。松島の宣伝用のキャッチコピーとして「ああ」に変えられたらしい。仙台藩の儒学者桜田欽斎の松島案内「松島図誌」に収められたが、芭蕉が詠んだ句として広まってしまったのが真相のようだ。

 松島は、松島湾内にある大小260余りの諸島の総称。古くは平安時代に霊場、歌枕の地として知られていた。「ほそ道」の中で紹介されてからは、全国的にその名が広まり文人墨客を中心に多くの人々が訪れた。

 実は、芭蕉は松島で「島々や千々(ちぢ)にくだきて夏の海」という句を詠んでいる。宝永6(1709)年に弟子の服部土芳が編んだ『蕉翁(しょうおう)句集』に載る。「ほそ道」の華美な記述とは対照的な、虚飾を排した写生のような一句だ。「ほそ道」では、黙ることでかえって対象の存在感を引き立てているといえる。

(市原幸彦)

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