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堀江正夫さん「戦友、何としても祖国に」

105歳の元陸軍少佐、ニューギニア戦の遺骨収集求める

堀江正夫さん「戦友、何としても祖国に」

取材に応じる元日本陸軍少佐の堀江正夫さん=5日、東京都内(時事)

 太平洋戦争の激戦地、東部ニューギニア(現パプアニューギニア)での戦いは「生きて帰れぬニューギニア」と例えられるほど苛烈を極めた。多くの遺骨が今も現地で眠る。「頭に浮かぶのは戦死者の姿。遺骨を何としても持って帰りたい」。105歳の元日本陸軍少佐堀江正夫さんは、遺骨収集事業を進め一人でも多くの戦友の帰国を訴える。

 堀江さんは1943年12月に物資輸送を行う潜水艦に乗ってニューギニア島北東部シオに上陸。現地での作戦を担う第18軍参謀などを務めた。

 「極めて無鉄砲な戦い。大本営は何も分かっていなかった」。ポートモレスビー攻略をはじめとする一連の戦いは、当初から補給体制が考えられておらず、地形の把握すらできていなかったと振り返る。

 現地では制海権、制空権を失い補給路が断絶。仲間は食糧不足による飢えや感染症で次々と亡くなった。堀江さんも赴任3カ月後にはマラリアにかかり、その後何度も感染した。「食べられるものはトカゲでも何でも食べたが、どんどん兵力は減っていった」と語る。

 第18軍司令官の安達二十三中将は45年7月25日、戦力の限界から9月末に玉砕する命令を出した。命令前後から部隊のあちこちで戦時中はやった歌謡曲「誰か故郷を想わざる」を歌う声が聞こえた。「帰れる望みはなくなったが、みんなの頭にあったのは故郷だった」と堀江さん。8月15日から3日後に終戦を知った。

 戦後は警察予備隊、保安隊を経て陸上自衛隊に入り、西部方面総監(陸将)で退官。その後、参院議員として防衛問題に取り組み、国政を退いた後も「英霊にこたえる会」会長などとして戦没者の慰霊や遺骨収集に携わってきた。

 厚生労働省によると、東部ニューギニアの戦没者は約12万7600人。うち約7万6000柱の遺骨が残ったままだ。遺骨収集は国の事業として行われているが、今年度は新型コロナウイルスの影響により実施できていない。

 「生き残った私が死んで、みんなのところに行ったときに『堀江、お前は長生きをしたのに何をしていたんだ』と言われかねない」。堀江さんは悲痛な思いを口にした。

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