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「幻の東京五輪」、元水泳代表候補の無念な思い

鹿児島市の故河野通廣さん、復員後70歳まで水泳続ける

「幻の東京五輪」、元水泳代表候補の無念な思い

1940年の「幻の東京五輪」に水泳の代表選手として出場が確実視されていた河野通廣さん。日本大を繰り上げ卒業し、軍に入隊した(長男の道康さん提供・時事)

「幻の東京五輪」、元水泳代表候補の無念な思い

1940年東京五輪の公式ポスターの写し(日本オリンピックミュージアム所蔵)=6日、東京都新宿区(時事)

 新型コロナウイルスの影響で1年延期となった2020年の東京五輪・パラリンピック。中止の可能性も取り沙汰されているが、実は初めてではない。1940年にも開催が決まりながら、戦争のため返上・中止となった「幻の東京五輪」があった。

 昨年5月に亡くなった鹿児島市の河野道廣さん=享年(99)=は1940年の「幻の五輪」に水泳の代表選手として出場が確実視されていた。憧れの舞台に立てないまま出征した元スイマーは、無念の思いを家族に語っていた。

 長男の通康さん(71)によると、河野さんは鹿児島県姶良町(現姶良市)出身。中学では背泳ぎで全国大会2位になり、38年に日本大に進学すると水泳部で活躍した。東京五輪出場を目指して練習に明け暮れる中、開催返上の話を耳にした。「虚脱感で何もする気が起きなくなった」と振り返ったという。

 河野さんはその後、繰り上げ卒業で中国に出征し、機関銃を備えた舞台に配属された。撤退時は最後方を担当し、目の前で胸に銃弾を受け、命を落とした部下もいたという。戦争の話はあまりしたがらなかったが、通康さんは「それだけひどい経験をしたのだろう。『絶対に戦争はするな』と言っていた」と思いをはせる。

 復員後は地元金融機関に勤めながら国体や県大会に出場し、70歳まで水泳を続けた。「五輪に出たかったとの思いはあったが、割り切っていたようだ」と道康さんは推測する。晩年も五輪への関心は高く、2020年の東京五輪・パラリンピックを「どうしても見たい」と言っていたという。

 道康さんは東京大会の1年延期について、「開催返上を経験した父が生きていたら嘆くだろう。大会に向けて調整している選手にとって1年は大きい」とおもんぱかった。

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