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90歳被爆者 中西巌さん「無言の被爆者残して」

広島市に残る被爆建物「旧広島陸軍被服支廠」の保存訴え

90歳被爆者 中西巌さん「無言の被爆者残して」

旧広島陸軍被服支廠の保存を訴える被爆者の中西巌さん=7月13日、広島県呉市(時事)

90歳被爆者 中西巌さん「無言の被爆者残して」

被爆建物「旧広島陸軍被服支廠」=4日午前、広島市南区(時事)

 広島市に残る被爆建物「旧広島陸軍被服支廠」。戦時中、軍服や軍靴などを製造する工場だったが、学徒動員で勤務中被爆した中西巌さん(90)は保全運動に取り組み続けている。「建物はそのものが『無言の被爆者』だ」と訴える。

 被服支廠は、外観がレンガの鉄筋コンクリート造り3階建て。1913年に完成し、戦後は大学の校舎や学生寮、倉庫として利用された。現在は4棟が残り、合計の延べ床面積は2万1700平方メートルと現存する最大級の被爆建築物だ。

 当時15歳だった中西さんは、同級生たちと工場の敷地内で運搬用トラックを待っていた時に被爆した。やけどを負い、血だらけになった仲間もいたが、中西さんは建物の陰にいて無傷で済んだ。

 爆心地から2・7キロ離れた工場には市の中心部から多くの負傷者がなだれ込み、臨時の救護所に。中西さんは作業の傍ら、救護を手伝った。しかし、床に横たわった負傷者は「助けてくれ」「水をくれ」と言いながら次々と亡くなった。「倉庫の中は叫び声とうめき声で地獄のようなありさまだった」と振り返る。

 被服支廠は90年代以降、市や県が活用方法を検討し、美術館や博物館にする案が出たものの立ち消えになった。そんな中、中西さんが保全を願う懇談会を発足したのは2014年。建物を通るたびに亡くなった人の声が聞こえる気がし、「ここは墓標だ」と強く思ったからだった。

 しかし、県は昨年、震度6強の地震で建物が倒壊する危険性が高いとして、県が保有する3棟中1棟を保存し、残りは解体する方針を示した。中西さんや被爆者団体は見直しを求める要望書や署名を提出。賛否を問うパブリックコメントでも保存を求める意見が多く、解体は先送りになった。

 中西さんは「人が来て原爆の悲惨さを学び、風化させないことで初めて浮かばれる」と強調。被爆体験の証言や、遺品などを展示する場としての活用を提案している。

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