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回想64年東京 東洋の魔女(中)

元エース井戸川絹子さん語る

使命感と重圧との闘い 「負けたら日本にいられない」

回想64年東京 東洋の魔女(中)

東京五輪で優勝し、祝勝会に臨むバレーボール全日本女子チーム=1964年10月24日、大阪府豊中市(時事)

 東京五輪を2年後に控えた1962年。井戸川(旧姓谷田)絹子さんら全日本女子の面々も、監督の大松博文さんも第一線から退くつもりでいた。この年の世界選手権で強豪ソ連を破って悲願の世界一。「これだけやって世界選手権も勝った。もう五輪を目指してやらなくていいじゃない」。井戸川さんには満足感があった。

 しかし、周囲がそうはさせない。バレーボールは東京五輪で採用された新競技。女子の団体種目としては初めてだった。新たな金メダル候補への周囲の期待は、想像以上に大きい。「みんなやめたかった。でも、出ないということは許されなかった」。チームで話し合いを重ね、全員の決断で現役続行へと傾いた。鬼の大松の下、再び練習に明け暮れる日々が始まった。

 迎えた本番は、プレッシャーとの闘い。期待されるのは金メダルだけだった。「私たちは一生懸命だけど、周りは『取って当たり前』。負けたら日本にいられないと思った」。恐怖と背中合わせの使命感を抱きながら、いざふたを開けてみれば強さは別格だった。5試合で1セットしか失わずに頂点へ駆け上がった。

 「コートに入ればこっちのものだから」。試合が始まると重圧感から解放され、純粋に勝利だけを目指してプレーできた。爆発的に普及したテレビの中継で、金メダルを懸けた最終戦、ソ連との全勝対決は平均視聴率66・8%。「東洋の魔女」歓喜の瞬間は、日本中を沸かせた。

 あれから56年。全日本女子を率いる中田久美監督は選手経験のある女性。人工知能(AI)を駆使して戦術を分析する時代に変わった。2012年ロンドン五輪銅メダル以来となる表彰台を目指す後輩たちに向け、「練習でやったことを試合で一生懸命やればいい。勝ちたい、絶対勝てると思えば勝てる」。井戸川さんはシンプルな言葉でエールを送る。


「東洋の魔女」

 1964年東京五輪に出場したバレーボール全日本女子は12人。主力として活躍したのは、ニチボー貝塚に所属した谷田絹子、河西昌枝、宮本恵美子、半田百合子、松村好子、磯辺サタ(いずれも旧姓)の6人だった。コーチ兼主将だったセッターの河西さんは2013年、80歳で脳出血で死去。アタッカーの磯辺さんは16年に72歳で亡くなった。

 チームを率いた大松博文監督は参院議員を経てバレーボールの普及活動に携わったが、78年に心筋梗塞で倒れ、57歳でこの世を去った。

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