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地道に「平和の文化」を、長崎原爆の日で式典

平和の祈りを厳かに、浦上天主堂で追悼の早朝ミサ

地道に「平和の文化」を、長崎原爆の日で式典

平和祈念式典で、平和宣言とともに空へ放たれたハト=9日午前、長崎市松山町の平和公園(時事)

地道に「平和の文化」を、長崎原爆の日で式典

平和祈念式典に参列する、長崎平和宣言で引用された詩を書いた被爆者の山口カズ子さん=9日午前、長崎市(時事)

地道に「平和の文化」を、長崎原爆の日で式典

74回目の長崎原爆の日の朝を迎え、浦上天主堂で行われたミサで犠牲者のために祈りをささげる人たち=9日午前、長崎市(時事)

 長崎は9日、74回目の原爆の日を迎え、爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、市主催の平和祈念式典が営まれた。田上富久市長は「核兵器が使われる危険性が高まっている」と指摘し、市民社会の持つ力の重要性を強調。一人ひとりが「核兵器はいらない」と声を上げるよう訴えた。

 式典には、被爆者や遺族、安倍晋三首相らが参列し、犠牲者の冥福を祈った。米露中など6カ国の核保有国を含め66カ国の代表も参加した。

◆   ◇   ◆

 74年前、原爆で多くの信徒が犠牲となった長崎市本尾町のカトリック教会浦上天主堂では9日早朝、追悼のミサが行われ、集まった約200人の信徒らが厳かに平和への祈りをささげた。

 午前5時半、朝日が空を赤く染める中、ミサを知らせる鐘が長崎の街に響いた。信徒が集まると、聖歌やパイプオルガンの音が聖堂を包んだ。

 久志利津男主任神父は、原爆で倒壊した旧天主堂から戦後、米国に渡った「被爆十字架」が返還されたことを紹介。「迫害と強烈な試練の歴史の象徴であるこの十字架に託された思いをしっかりと受け止める必要がある」と呼び掛けた。

 爆心地から約700メートルの自宅で被爆した女性(81)は、原爆で両親を失った。防空壕(ごう)の前で父親を火葬した時のことは忘れられない。「原爆で亡くなったみんなが安らかに眠ることを祈った」と話した。

 長崎市の辻本美枝子さん(90)は原爆で亡くなった4歳上の兄や、夫の両親らの冥福を祈った。辻本さんは「戦争は嫌だ。この怖さを(核兵器保有国の)米国やロシアも知ってほしい」と訴えた。

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