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唯一の遺品、むき出しの学生帽「多くの人見て」

広島平和記念資料館に常設展示、「原爆の日」迎え犠牲者悼む

唯一の遺品、むき出しの学生帽「多くの人見て」

広島平和記念資料館に常設展示された西迫盛人さんの学生帽=4月4日、広島市中区(時事)

唯一の遺品、むき出しの学生帽「多くの人見て」

74回目の原爆の日を迎え、原爆死没者慰霊碑に花を手向ける男性=6日朝、広島市中区の平和記念公園(時事)

唯一の遺品、むき出しの学生帽「多くの人見て」

原爆ドーム前を流れる元安川で、原爆犠牲者を悼み、平和への願いを込めた灯籠流し=6日夜、広島市中区(時事)

 4月に展示内容の全面的なリニューアルが行われた広島市の平和記念資料館本館では、学徒動員で作業中に亡くなった23人の遺品も新たに陳列された。その中にある下地がむき出しになった学生帽は、故西迫哲夫さん当時(87)が寄贈した弟盛人さんの唯一の遺品だ。遺族は「多くの人に見てもらい、原爆の惨状を知ってほしい」と訴えている。

 盛人さんは広島県立広島第一中学1年で当時12歳。1945年8月6日、学徒動員で建物疎開作業を行うため自宅から学校に向かい、そのまま行方不明になった。

 父政吉さんや家族が必死で捜し続けたものの遺体は見つからず、同級生の親が学生帽を発見。帽子の内側に書かれた名前で盛人さんの物と分かり、同8月末、政吉さんと哲夫さんが引き取った。

 学生帽はもともと哲夫さんの物で、広島商船学校(現広島商船高専)への進学が決まった際、盛人さんに譲った思い出深い品だ。哲夫さんは妻芙由子さん(86)とともに、きりの箱にしまい、防虫剤を入れ替えるなどして大切に保管してきたが、年々保存が難しくなってきたことや、「多くの人に見てもらった方が供養になる」との思いから2004年8月、資料館に寄贈した。

 哲夫さんは寄贈後も、芙由子さんと一緒に数回資料館を訪問。学生帽に手を合わせ慰霊を続けてきたが、昨年7月に死去した。

 芙由子さんは同い年だった盛人さんについて「これからの人生があったのに。学生帽を見ると今でも涙が出る」と思いを寄せる。「常設展示になることで(盛人さんも)浮かばれると思う。原爆の惨禍が二度と起きないよう、多くの人に見てもらいたい」と話した。

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