非の打ち所なし、羽生結弦111点台でSP首位
負傷から3カ月、ぶっつけで臨んだ五輪、ただただ勝負強く
ピアノの重低音が一つゴーンと鳴った。首を軽く回して滑りだした羽生の脳裏にリンクへ戻れた喜びがかすめ、顔がきりっと締まった。スイッチは入った。右足首負傷から3カ月。ぶっつけで臨んだ五輪のSPは非の打ち所がなかった。「大きなことを言うなと言われるかもしれないが、僕は五輪を知っている」。ただただ勝負強かった。
冒頭の4回転サルコーは柔らかい着氷で両足の爪先を大きく開くイーグルへつなげ、トリプルアクセル(3回転半)は完璧。4回転からの連続トーループで3回転を降りるともう、歓声でショパンのバラード第1番がかき消された。数週間しか練習できなかったが「何年間も付き合ってくれたジャンプだから」。体が反応してくれた。
右足首の影響を考えて練習でジャンプの本数を抑えており、サルコーが実は不安だった。頭はフルに働かせていた。「練習できない時に論文などで調整法を勉強してきた。それが出せた」と胸を張る。解剖学に加え練習法や計画など文献をあさり、独学で方法論を確立した自負があった。オーサー・コーチも「これは運ではない」と言う。
負傷の後に氷上練習を再開するまで2カ月かかり、そこから五輪まで1カ月しかなかった。一般的に休んだ期間の3倍の日数が復帰までにかかると言われ、そうなると数字上は合わない。ジャンプのイメージトレーニングに特に重点を置き、失った時間を補った。オーサー・コーチは「氷に戻ってきたときには全てが一つになっていた。いい滑りをするだろうと思ったよ」と振り返った。
4回転はサルコーとトーループ。フリーの構成は明かさなかったが、負傷の原因となったルッツは回避し、ループも現地入り後はあまり跳んでいない。技術の面で後戻りしているような思いもあっただろう。それでも自身の持つ世界歴代最高に1・04点と迫るハイスコア。最後のスピンで取りこぼさなければ、超えた可能性もあった。
金メダルに輝いた4年前のソチ五輪フリーでミスを重ねた自分への悔いは、まだ残っている。フリーは「リベンジしたい」と言った。66年ぶりの連覇へ。追ってくるフェルナンデス、宇野、金博洋への意識を消し、自身の心とだけせめぎ合う。(時事)
コメント