ワシントン・タイムズ・ジャパン
«
»

「新聞紙の外交論」から考える

櫻田 淳

言論にも然るべき作法

東洋学園大学教授 櫻田 淳

 「…随(したがっ)て新聞紙の如きも自から事に慣れざるが故に、其の議論にも自ら用心を欠き、却て大言壮語して国内の人心を騒がすのみならず、実際に当局の事を妨るの感なきに非ず。本人の考は毫も悪意あるに非ずと雖も、国家の不利は免かる可らず。大いに警(いま)しむ可き所なり。外交の結局はつまり国力の如何に決するものなれども、その掛引は甚だ微妙なり…」

 「外交の事態いよいよ切迫すれば、外交の事を記し又これを論ずるに當りては自から外務大臣たるの心得を以てするが故に、一身の私に於ては世間の人気に投ず可き壮快の説なきに非ざれども、紙に臨めば自から筆の不自由を感じて自から躊躇(ちゅうちょ)するものなり。苟(いやしく)も国家の利害を思ふものならんには此心得なかる可らず」

 ――福澤諭吉 「新聞紙の外交論」『時事新報』(明治30年8月)社説。


...【全文を読む】
記事の全文をご覧になるには会員登録が必要です。
無料で毎月10本までご覧になれます。
新規会員登録へ

コメント

コメントの書き込み・表示するにはログインが必要です(承認制)。