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「東洋のロスチャイルド」サスーン家

獨協大学教授 佐藤 唯行

アヘン王から不動産王に
上海・香港の発展の土台築く

佐藤 唯行

獨協大学教授 佐藤 唯行

 英国のユダヤ財閥の中で「東洋のロスチャイルド」と仇名(あだな)されたのがサスーン商会だ。

 初代デービッドが1864年に死んだ時、遺産は500万ポンド。英ロスチャイルド家初代の遺産600万ポンドに準ずる額だった。

 サスーン家発祥の地バグダッドはオスマン帝国内でも屈指の豊かなユダヤ社会が栄えていた。しかし、新任総督の圧迫に耐えかね、32年、英領インドのムンバイに亡命するのだ。

 皮肉にも家門の隆盛はここから始まるのだ。

同郷同族の若者を雇用

 デービッドには8人の男子がいた。財閥発展の原動力は最も進取の気性に富んだ次男イライアスだ。イライアスを上海に送り込んだのは父デービッドの炯眼(けいがん)だった。今日まで続く上海ユダヤ社会の出発点は、従業員を引き連れてのイライアスの移住だったのだ。

 他にも四男、五男を早くから英国に留学させ、英社交界でサスーン家の広告塔の役割を担わせるなど、子供たちは父の「世界戦略」実現のため、巧みな役割分担を担うのであった。父の予想を超え、四男、五男は国王ジョージ7世の側近に出世し、王にアジア情勢に関する助言を与えたのであった。

 サスーン商会の特色は、社主の故郷バグダッドにルーツを持つ同族の若者だけを社員としてリクルートし続けた点だ。素性、人柄も正確に把握できるので、商売敵に情報を漏らしたり、不正を犯す者が出現したりするリスクは大幅に抑えられるのだ。

 若者たちはムンバイで修業を積んだ後、上海など中国各地の条約港に駐在員として派遣されたのだ。駐在地には社員と家族のためにユダヤ教会堂とユダヤ学校が建てられた。学校にはユニオンジャックの旗が棚引き、生徒たちはヘブライ語、英語、アラビア語で英国国歌の歌詞を習うのだ。

 子らの中で筋の良い者は成人するとサスーン商会に傭(やと)われることになるのだ。優秀な社員は親族でなくてもマネージャー、共同出資(パートナー)経営者に昇進できた。多くは独立して自前の商会の社主となった。出世頭は「極東の教主」と仇名され、900人の従業員を擁したサイラス・ハルドゥンとエリー卿・カドゥーリだ。

 漢字で嘉道利(カドゥーリ)と表記するこの財閥は、今日でも香港を本拠とする10億㌦長者の地位を保っている。サスーン家の富の土台が中国へのアヘン輸出により築かれたことは公然の秘密だ。英系商社が撤退した1880年以後はサスーン商会の独占状態だった。

 「アヘン貿易は善きキリスト教徒の道に反する」という宣教団体からの非難も、キリスト教徒ならざるサスーン商会にとっては痛くも痒(かゆ)くもなかったわけだ。1917年をもってアヘンの合法貿易が終了するまで、しぶとくしがみついていたのだ。貿易終了により最大の収益源を失ったユダヤ商人だが、既に備えはできていた。

 アヘン貿易で儲(もう)けた富を早くから不動産に投資してきたからだ。特にイライアス・サスーンはビジネスロケーションとしての上海埠頭(ふとう)の潜在的可能性にいち早く着目し、海沿いの土地を安値で取得、護岸工事を施した後、倉庫群を建設したのだ。既に1900年頃、上海市内29カ所に64・4エーカーの土地を所有していた。

 パレスホテル、ブロードウェーマンションズ、サスーンハウス等、今日まで残る歴史的建造物の多くはサスーン家とその番頭筋ハルドゥン家、カドゥーリ家が所有する建物であった。他にも大規模住宅群の大半を彼らが所有していたのだ。

金融や公益事業も展開

 25年、上海を訪れた米国人某ジャーナリストは、上海の商業地・住宅地のおよそ半分を「バグダッドに発祥したユダヤ商人が所有している」と報告している。同じ頃、上海のユダヤ新聞「イスラエル・メッセンジャー」紙も「上海の不動産に投資されたユダヤ資本は少なくとも410万㌦に達している」と報じている。アヘン王から不動産王へ変身を遂げたわけだ。

 彼らはこの他にも金融、公益事業にも手を広げ、その間、香港にも進出した。上海、香港が後に世界有数の貿易港、金融センターへと発展する土台を築き上げた人々と言えよう。その中心がサスーン家だったのだ。

(さとう・ただゆき)

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