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『菜根譚』に学ぶ人間学の知恵

メンタルヘルス・カウンセラー 根本 和雄

混迷の世相変える倫理観
権勢に流されず「足るを知る」

根本 和雄3

メンタルヘルス・カウンセラー 根本 和雄

 天文18(1549)年に来日したスペインの宣教師、フランシスコ・ザビエル(06~52)は、こう語り、驚いたという。

 “日本人は貧しいことを恥ずかしがらない。武士は町人より貧しいのに尊敬されている”

 それは、武士は刀を持っていた故に尊敬されたのではなく、高い倫理道徳の故である。日本ほど金銭至上主義と縁遠い国は、少なくとも欧米にはなかったと思うからである。

 然(しか)るに昨今、金銭感覚は麻痺(まひ)し、倫理道徳は鈍麻(どんま)の一途をたどり、世相は混迷に陥っているのではなかろうか。

 古くから“日本に『言志四録』あり、東洋に『菜根譚(さいこんたん)』あり”というように、『菜根譚』は心学(心即理(しんそくり))を基にした処世哲学の箴言(しんげん)(アフォリズム)の「人間学」の書である。

 今、改めて、この『菜根譚』から、人生の指針を汲(く)み取ってみたいと思う。

諫言は身を修める砥石

 “道徳に棲守(せいしゅ)する者は、一時に寂寞(せきばく)たり。権勢に依阿(いあ)する者は、万古に凄涼(せいりょう)たり。”(前集・1)

 すなわち、「道義を守って、それを自分の信条とするものは、ある時には、辛い境遇にあるし、他方権勢に阿(おもね)り諂(へつら)う者は、後々まで悲惨な状態になる」という。これは、ともすれば権勢に押し流されて、信念を曲げて安易に妥協することへの警鐘ではなかろうか。

 近頃、金銭感覚が麻痺して、人々は自己の欲望に駆り立てられているのではなかろうか。

 “奢(おご)る者は富みて而(しか)も足らず、何ぞ倹なる者の貧にして而も余りあるに如(し)かん。”(前集・55)

 つまり「奢り高ぶった生活をしている人は、どれほど富んでも常に望みが満たされず、いつも不足がちであるが、倹約な人は、いつでも慎ましやかなので、常に余裕がある」という。これは、「小欲知足」「知足安分」の優れた処世の知恵であり、身の丈に合った「ほどほどの生活」にこそ、心の潤いがあるのではないかと思うのである。

 “風、疎竹(そちく)に来る、風過ぎて竹は声を留(とど)めず。故に君子は事来って心始めて現れ、事去って心随(したが)って空(むな)し。”(前集・82)

 すなわち「風が竹林に吹いている、風が過ぎてしまうと竹のざわめく音も消えてしまう。このように、道を心得た人は、その事が終わってしまえば、いつまでもその事に捉(とらわ)れない」というのである。

 実は、この言葉を引用して退官の記者会見をした人物が梶山静六(当時・橋本内閣の官房長官)である。退官の記者会見で、今の心境は、と問われて“事去って心随って空し”と答えたのである(「毎日新聞」平成9年9月11日付)。

 “耳中、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、纔(わずか)に是(こ)れ徳に進み行を修むるの砥石(といし)なり。”(前集・5)

 すなわち「平素常に耳には聞きづらい忠言や諌言(かんげん)を聞き、それで初めて徳に進み行を修めるための砥石となる」というのである。

 この言葉を実践したのが布施健(検事総長・戦後第11代目)で、常に鞄(かばん)に『菜根譚』を入れて愛読していたという(「読売新聞」昭和63年2月29日付〈編集手帳〉)。

晩年もなお輝く人生を

 さて、『菜根譚』は「晩年の人生」についてこう述べている。

 “日既に暮れて、而もなお烟霞(えんか)絢爛(けんらん)たり。故に末路晩年、宜(よろ)しく精神百倍すべし。”(前集・196)

 すなわち「日が暮れても、夕映えは美しく輝いている。従って晩年に際して、さらに気力を充実させなければならない」と。

 この世に生を受け、その人らしく人生を全うする生き方について、『菜根譚』は、このように、晩年の人生の豊かさを讃(たた)えている。

 今、改めて、次の言葉を味わい深く思うのである。

 “夕暮れになっても、光輝いているように”(「旧約聖書」ゼカリヤ書14・7)

(ねもと・かずお)

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