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盗品故買の帝王・ソロモンズ

獨協大学教授 佐藤 唯行

一大ニュースとなった逃走劇
獨協大学教授 佐藤 唯行

佐藤 唯行

獨協大学教授 佐藤 唯行

 英文学の巨匠ディケンズの小説「オリヴァー・トゥイスト」の中には、フェイギンというユダヤの悪者が登場する。子供らにスリの技を仕込み、盗品を買い取る故買屋だ。実はフェイギンには実在のモデルがいた。アイキー・ソロモンズ(1785~1850)だ。ソロモンズが壮年の美男であったのに、フェイギンは不快な老人という違いはあったが、それは物語の性格上、フェイギンの悪役らしさを強調するための設定だったのだ。東ロンドンの貧しい移民家庭に生まれたソロモンズは、14歳から悪仲間と徒党を組み、スリ稼業を始めた。

知性要るユダヤ的犯罪

 手形帳をすられても全く気付かなかったと語る被害者の証言から、彼が腕利きのスリだったことが分かる。けれど警官に顔が知られ過ぎたので、31歳で故買屋に転じたのだ。ユダヤの盗品故買業は、首都ロンドンに蔓延(まんえん)した組織犯罪の中で重要な分野で、キリスト教徒は従属的立場に甘んじていた。「盗品を取り戻したければユダヤ人街へゆけ」という俗説が囁(ささや)かれたほどだ。

 故買が「ユダヤ的犯罪」となった理由は、持ち込まれた盗品を値踏みできる鑑定眼が求められたからだ。粗暴さとは無縁の知性の高さが必要な犯罪なのだ。第二は足がつかぬようブツを安全に換金する上で、国境を越えた同族ネットワークが役立ったからだ。出所(でどころ)がばれやすいオリジナルな宝飾品は、オランダ在住のユダヤの仲間のもとに送られ、さばかれるのだ。

 逆に欧州大陸で盗まれたお宝は、同じネットワークを通じ頻繁に英国に持ち込まれたのだ。英蘭のユダヤ系大物故買屋は、稼業のみならず血縁、姻戚によっても結ばれていたのだ。

 ロンドン市内有数の盗品故買業の中心ペチコートレーン界隈で、ソロモンズは1826年頃に顔役になっていた。彼が提示した買い取り価格が、業界の基準値として尊重されたほどだ。貯(た)めこんだ盗品は馬車1台分。彼の隠れ家に踏み込んだ警官隊は、秘密の地下室にうず高く積まれた盗品の山に肝をつぶしたそうだ。年若いスリや泥棒を手懐(てなず)け、お宝を盗(と)ってくるよう仕向けるのだ。

 彼の悪行は悪漢小説(ピカレスクロマン)となり読者を楽しませた。きっかけは冒険活劇さながらの逃走だった。それは1827年、2度目の逮捕の直後に起きた。当時、容疑者が保釈申請を行う場合、出獄許可を得た後、獄吏に付き添われ、本人が高等法院へ出頭する決まりだった。その道中で脱走劇が仕組まれたのだ。

 夫に会いたいだけだと哀願する妻の甘言を信じ、また賄賂に目が眩(くら)んだ獄吏たちは、護送馬車にソロモンズの妻を同乗させてしまう失態を犯したのだ。帰路、地元のペチコートレーンで、自分だけ降ろしてくれという彼女の願いを聞き入れたのが運の尽きだった。

 馬車を停(と)めドアを開けた瞬間、妻ではなく、手錠をかけられただけのソロモンズが外に飛び出たのだ。そこには人混みに紛れた手下が潜んでいた。手はずの通り手下どもは外から扉を閉め続け、獄吏たちの追跡を阻んだのだ。その間、ソロモンズは勝手知ったるペチコートレーンの裏通りに姿をくらましてしまうのだ。

 この逃走は一大ニュースとなり、内相は海外への逃亡を阻止すべく官憲当局に厳命を下し、報償金を示した手配書を各地の郵便局へ配布した。年貢の納め時となったのは1831年、3度目の逮捕だった。14年間の流刑判決を受け、英領の流刑植民地・豪州へと島流しにされてしまうのだ。

当時の社会的現実反映

 豪州ユダヤ社会の起源を解明した歴史家J・S・レビィは1788年、最初の囚人が送られてから1850年までの間、豪州へ島流しとなったユダヤの囚人は684人で、流刑囚全体の0・7%を占めたことを明らかにしている。当時ユダヤ人は英国総人口の0・1%にすぎなかったので、人口比7倍の割合で島流しにされていたことが分かる。

 今日ではケチな犯罪など犯す必要の無い英国ユダヤ人ではあるが、貧しい移民が多かった当時の英国ユダヤ社会には、大勢の犯罪者がいたのだ。社会派作家ディケンズが作中にユダヤの犯罪者を登場させたのも、当時の社会的現実を反映させようとしたからだと考えられるのだ。

(さとう・ただゆき)

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