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反政権デモで揺れるロシア極東

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

非与党系知事拘束に反発
特使派遣も沈静化の気配なし

 中国国境近くにある人口約60万のロシア極東の都市ハバロフスクと言えば、ソ連時代の閉鎖都市で軍港だったウラジオストクと並んで、歴史的にも日本と深い関係がある。帝政ロシア時代、約600人の日本人居留民が同地に滞在するなど日本との交流が活発だった。ロシア革命の翌1918年にシベリア出兵で日本軍がハバロフスクを占領。2年後に日本軍が撤退したあと、極東共和国が成立した。第2次大戦後のシベリア抑留に関連して、同地で日本軍将兵が強制労働させられ、その多くがここで没し、日本人墓地に眠っている。

中澤 孝之

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

 昨年5月、モスクワで開かれた日露知事会議でハバロフスク地方のセルゲイ・フルガル知事(50)は北海道や鳥取県の知事と会談。8月には、友好提携50周年を記念してハバロフスクを訪れた兵庫県知事と会談し、記念文書に署名した。また、新潟市は1965年にハバロフスク市と姉妹都市関係を結んだ。筆者は県立新潟女子短大(現新潟県立大学)に勤務していたとき、語学研修の学生たちと同市を訪れた思い出がある。

殺人事件に関与の疑い

 かつて極東連邦管区本部が置かれていたこのハバロフスクが今、ロシア中央集権体制の「綻(ほころ)び」の一つを呈しつつある。きっかけはロシア治安当局が7月9日、知事フルガル氏を逮捕したことだ。同氏は同日、詳しい捜査のためモスクワに空路移送された。モスクワ市のバスマンヌィ地区裁判所は10日、正式な逮捕と9月9日まで2カ月間の勾留を認めた。主要犯罪を調査するロシア連邦捜査委員会によると、フルガル氏は2004年にハバロフスク地方、05年にアムール州で実業家が殺された事件に関与した疑いがもたれている。事件をめぐっては既に4人が逮捕されているという。同委員会は、フルガル氏が15、16年前にビジネスマン数人の殺害を命じた罪や殺人未遂罪で訴追されたとしている。有罪判決を受けた場合、終身刑となる可能性もあるようだ。弁護士によると、フルガル知事は容疑を否認しているという。

 18年9月の知事選で「体制内野党」の極右政党「ロシア自由民主党(LDPR)」から立候補したフルガル氏は、13年の知事選に次ぐ2回目の挑戦で、与党「統一ロシア」の候補で現職知事に、決選投票で得票率69・57%と圧勝。与党以外から選出されたロシアで数少ない知事だった。知事就任後は、自身の給与を減らし、役人のファーストクラス利用を禁止し、地方政府所有の100万ドルのヨットを売却しようとした(買い手が見つからなかった)ことなどもあって、「人民の知事」として比較的人気が高かった。

 LDPRのウラジーミル・ジリノフスキー党首(74)は「非常に大きな政治的事件だ」と拘束に強く反発するとともに、「スターリン時代のやり方だ」と当局を非難した。ジリノフスキー氏と言えば、亡父はウクライナ系ユダヤ人で、アラスカのロシア返還を要求したり、「東京に原爆を落とせ」「北方領土を日本に500億ドルで売れ」発言など、何かと話題の多い人物だ。

 フルガル知事逮捕の翌10日には、知事が当局に拘束されたことに抗議する集会やデモ行進がハバロフスク市を中心に行われた。内務省によると、参加者は1万~1万2000人だが、地元報道は3万5000人と報じた。集会やデモは連日続き、デモ隊の数が18日には、人口の約1割に相当する5万人規模に膨れ上がった。フルガル氏拘束の背後には、「非与党系知事の排除」の意図があるとの受け止め方も根強く、集会参加者たちは「フルガルに自由を」「モスクワは出て行け」などと訴えた。ちなみに、非登録の集会やデモにもかかわらず、7月22日現在まで、参加者に逮捕者はなく、警察当局による制圧や干渉も伝えられていない。

同じ政党から代行起用

 プーチン政権の予想を超えるフルガル氏支持のデモが10日間も続く中、クレムリンはユーリー・トルトネフ副首相兼極東連邦管区大統領全権代表を、緊張緩和を試みるための特使として空路、ハバロフスクに派遣した。さらに、プーチン大統領は7月20日、フルガル知事を解任。フルガル氏と同じLDPRのミハイル・デクチャリョフ下院議員(39)を知事代行に任命する大統領令に署名した。大統領は解任した知事の所属する政党から知事代行を起用することで、事態の沈静化を図ろうとしたものと受け取られたが、住民の反発が収まる気配はない。

(なかざわ・たかゆき)

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