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首里城火災で感じた戸惑い

沖縄大学教授 宮城 能彦

早過ぎる募金呼び掛け
しばし喪に服し再建考えよう

宮城 能彦

沖縄大学教授 宮城 能彦

 首里城が炎上してしまった。

 10月31日の早朝、私もこのニュースで起き、首里城正殿が燃え落ちる映像をリアルタイムで見てショックを受けた。

 戦後、沖縄県民の長年の夢であった首里城の復元工事がほぼ終わりかけた直後だっただけに、沖縄県民が受けた衝撃は計り知れない。泣き出す若者も少なくなかった。しかし、その後のあまりにも早い展開に私はかなり戸惑っている。

半日たたず「お金の話」

 ネット配信の「沖縄タイムス+プラス」の速報で首里城正殿が激しく燃えていることがアップされたのが、31日の午前4時53分。それからわずか6時間後には「首里城炎上 沖縄相『心を痛めている』」という記事が配信された。

 その後、12時44分の記事では、「『正殿は焼け落ち、龍柱は黒くなっていた』首里城炎上、那覇市長が視察」。同51分に「全焼した首里城、知事が現地視察 対策本部設置へ 韓国から予定早め帰国」と那覇市長や県知事が迅速に対応していることが報じられている。

 ここまでは、見事な対応だと評価されるべきだろう。しかし、私が感じた戸惑いはその後のことである。

 まず、その日の11時47分の記事では、早くも、「菅義偉官房長官は31日午前の記者会見で、(略)『再建に向けて、政府としては全力で取り組む。しっかり対応する』と述べた。」という記事が現れるのである。速報からわずか7時間後である。

 そして、その日の午後には、「焼失した首里城の復興へ 那覇市が募金募る」(16時42分配信)と募金が始まり、玉城デニー知事も「『首里城は必ず復元する』寄付金の受け入れ準備、政府にも協力要請へ」(17時40分)と発表。

 翌日11月1日、玉城知事は東京に飛び、「内閣府で衛藤晟一沖縄担当相に早期再建へ協力を求めた」(10時34分)。首里城の火災のわずか約30時間後である。

 その後、「首里城再建へ『スピード感』何度も強調 玉城知事 県民会議や直轄戦略チーム発足」(8日10時)と報道されているが、私が戸惑いを隠せないのは、その「スピード感」だ。

 首里城が焼け落ちて半日もたたないうちに「お金の話」になってしまったのは、私にとってはとてもショックであった。その後、マスコミやネットでは、首里城再建の募金に関する記事の方がメインのようになっていく。それに違和感を覚えた私は、自分のSNS(インターネット交流サイト)に次のように書いた。

 「私はどうもしっくりこないのです。これまで、東日本大震災や熊本や広島にほんのわずかですが関わってきました。そこには、今生きて生活しなければならない人たちがいるので、出来るだけ迅速に支援の手を差し伸べる必要がありました。人の力もお金も。

 それと、混同していませんか?

 今回の火災では、幸いなことにけが人も民家の焼失もありませんでした。

 今しばらくは喪に服すべきだと思うのです。負けないぞ、すぐに復興させるぞ、と言う気持ちは大切だと思います。でも、早すぎる。

 私たちにとって首里城って何だったのか? 私を含め多くの人が感じる心の穴って何なのか? 沖縄の歴史って?

 少なくとも49日間は喪に服した方がいい。

 建物の再建は必ずできます。でも、ほんとうに大切なのは建物ではないはず。私たちは何を再建したいのか? 喪に服しながらゆっくりゆっくり考えたいと思います」

 賛同してくれる人も少なくなかったが、それでも沖縄全体は、「募金」の方へ流れていく。心配なのは、「沖縄県民は結局お金か」と思われることである。実際にネットではそんな書き込みがある。もちろんそうではない。県民の前向きさが極端に出てしまっただけなのだ。

歴史をもっと学ぶ必要

 しかし、もう一つ気になることがある。

 多くの沖縄県民、特に若者は首里城のことをあまり知らないのだ。首里城は再建された建物なので世界遺産ではない。しかも、その所有者は国であって沖縄県ではない。そんな基本的なことも知らないで、「首里城は私たち沖縄県民のアイデンティティーの象徴です」と言う姿は悲しくも見えてしまうのである。

 私たちは、首里城のこと沖縄の歴史のことをもっと学ばなくてはならない。

(みやぎ・よしひこ)

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