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記紀神話と大嘗祭

哲学者 小林 道憲

太陽神の命受け穀霊降臨
五穀豊穣約す太陽の霊力崇拝

小林 道憲

哲学者 小林 道憲

 わが国の最も古い歴史書『日本書紀』や『古事記』にある天孫降臨神話は、大体次のような話になっている。

 ようやく平定された葦原(あしはら)の中つ国(日本)の統治を任せるのに、高天原のタカミムスビまたはアマテラスは、生まれたての孫ニニギノミコトを降ろすことになった。ニニギノミコトは、筑紫の日向の高千穂の峯(みね)に降臨した。

 もっとも、この話は何ら歴史的事実を伝えるものではない。天孫降臨神話は、初めはもっと単純な話であった。秋に取り入れた稲を積んでおくところをニホと言い、そのニホを依(よ)り代として穀霊神が降臨するという最も古い信仰がある。高千穂とは高く積み上げた稲積みの意味であり、そこから高千穂の峯にニニギノミコトが降臨したという話に発展していったのであろう。

北方起源の大和系王権

 日向の地はただ日の当たる所という意味であって、特定の地名を表すものではなかった。しかし、日向の連想から、後、筑紫の日向という話に発展していったに違いない。この話はさらに発展し、記紀神話では、アマテラスからの神勅や三種の神器の授受、祭祀(さいし)や軍事などを分掌する諸氏の祖先神の随伴の話まで加上されていった。

 こうして見ると、これは、おそらく、3世紀から6世紀の間に他の部族や首長国を服属させていった大和系王権の発展過程を反映しているのであろう。それに従って神話も体系化されていったのである。大和系王権によって国家統一がなった頃、彼らは、その統治のいわれを天孫降臨の神話に託して理解したのである。天孫降臨神話は神の垂直降臨神話であり、日本、朝鮮半島、シベリア、中央アジアなど、アルタイ系諸族に伝わる神話類型だと言われ、大和系王権の北方起源を暗示している。

 もっとも、垂直降臨神話といっても、そこでの主宰神が最初からアマテラスという太陽神だったわけではない。記紀神話では、天孫を遣わす時、その司令をする神がタカミムスビであったりアマテラスであったりして、諸伝承によって異なっている。しかも、アマテラスとする伝承が新しい部類に属する。大和系王権が崇拝していた神は、古くは太陽の生産力を象徴していた男性神タカミムスビであったようである。そして、この神に仕え、この神の言葉を伝える女性の巫女(みこ)が、後、神格化して太陽神アマテラスに出世したのではないか。だが、どれも太陽神には違いなく、大和系王権が太陽の霊力を崇拝していたことは確かである。

 天孫降臨神話は、最も完成された形では、日の神アマテラスの命を受けて、その孫ニニギノミコトが諸神を従えて天から降臨し、天皇の祖先となり、従って、代々の天皇は日の御子であるという神話体系になる。統治者が日の御子であり太陽神の末裔(まつえい)であるという神話は、世界中のどこにでもある神話である。恵み豊かで五穀豊穣(ほうじょう)を約束する太陽の霊力への崇拝は、農耕民族にとって必然である。また、その民族の統率者が太陽の霊力を身に受けて、諸国の豊穰を約束してくれると信じられたのも、古代人にとっては不思議ではない。

 天孫ニニギノミコトも、正式の名前はアマツヒコヒコホノニニギノミコトであり、稲穂の豊かに熟したありさまを意味していた。ニニギノミコトは、もとは幼童の姿で天から降臨する穀霊神であった。天孫降臨神話は、この穀霊降臨神話から形成されて、それがやがて始祖降臨神話に変わり、皇室の由来を説く神話に変化していったものと考えられる。

穀霊を祀り皇位を継承

 だからこそ、ここに、今回執り行われる大嘗祭との連関を見ることができるのである。大嘗祭は穀霊を祀(まつ)る祭りであると同時に、皇位継承儀礼でもあるからである。事実、記紀神話では、降臨の際、アマテラスから稲穂を授受されるとともに、鏡をも授受される形になっている。稲穂は穀霊の象徴であり、鏡は太陽の象徴である。この鏡と同時に授けられた剣と勾玉(まがたま)が三種の神器であり、皇位の象徴になる。太陽への信仰、稲への信仰、天皇への信仰が神話の形を取ったのが記紀神話なのである。

(こばやし・みちのり)

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